実際には、館内に人を呼びに行くまで正面玄関は係不在の状態だった。館内からは、一番初めに目にとまった係を呼んで来たのだが、後から考えると、もっと吟味して人選すべきだった。後悔先に立たずである。その係は不慣れな上に不器用で、荷物を大切に扱う試験があれば間違いなく不合格になる仕事ぶりだった。

せっかく腕利きの職人にプレスを掛けてもらったテーラードスーツを、くしゃくしゃと丸め始めた時には、その腕にアイロンを当ててやろうかと思うほど恨めしかった。そんな気も知らないで、係は「お荷物はのちほどお届けしますので、チェックインの際、このタグを係にお渡しください」と平然として言った。

冗談じゃない。仕事ぶりを見る限り、とてもじゃないが、目の届かないところで扱われるなんて、不安で気が狂いそうになるではないか。どうか、このまま37階のラウンジまで同行願わなければ。そう頼むと、一瞬ためらったものの、2輪カートを引きながらエレベータに同乗してきた。

ラウンジでも予想外の早い到着に驚かれたが、急いでルームキーを用意するとのこと。そこで、荷物だけ先に部屋に入れてくれれば、部屋の仕上げは後で構わないというと、ラウンジの係はホッとしたような笑顔を返した。

ラウンジではまだ朝食サービスの真っ最中だった。「コーヒーだけ飲んでっていい？」と断って、空いている席にコーヒーを持って座った。顔なじみの給仕が「何か召し上がりませんか？」と気を利かせてくれたので、待ってましたとばかりにドーナッツをひとつだけ取り分けた。このように、互いに顔を判り合っている係とはスムーズにことが運ぶが、そうでない係とはとたんにギクシャクしてしまう。

実は、顔見知りであるかどうかと、その係のスキルそのものは、不思議なことにピッタリとシンクロしている。よいサービスを受けるためには優秀な係を積極的に選ぶ方が好都合だ。

今回の滞在中は、見知らぬスタッフたちから、何度も不安な気持ちにさせられた。「本当に大丈夫？」と疑わずにはいられず、その多くは結果的に失敗や間違いを生じた。小さなことでも積み重なれば大きな不信感になる。

こうなった原因は、人員の絶対的な不足だと思われる。先輩たちもギリギリ状態で駆けずり回っているから、若く未熟なスタッフに目を光らせたりアドバイスする余裕がなくなり、雑でいい加減な仕事が野放しにされる。下手をすれば、先輩自らが悪い仕事の手本になってしまうケースもあるようだ。

たとえば、ヒルトンでは朝食ブッフェ時でも、係にパンケーキをオーダーすれば、厨房から焼きたてを運んでくるのが通常だが、最近はブッフェ台に並んだ小さくて冷めたものを、ただ取ってくるようなバカなマネをすることがある。

これが象徴するように、短絡的な手抜きが横行し、かつての信頼できるクオリティがなりを潜めてしまった。ヒルトンは日本で40年掛けて、ビジネスに強いという信頼を築いた。だが、それは今、大きく揺らいでいる。それを再び築くには40年かかることを忘れないでもらいたい。

それでもホテルは連日満室の盛況ぶりだ。いくら安売りしているとしても、これだけ入っていれば儲かって仕方がないはずである。レストランだって安くないし、いつも賑わっている。だったら、スタッフを十分に雇えるのではないかと思いきや、ヒルトンはビルを賃貸して運営しているため、莫大な賃料を払わなければならず、いくら儲けても従業員の給料までは回ってこないし、客に還元するなど夢のまた夢なのだ。

時代が時代であっても、ビルのオーナーたちは容赦なく賃料を据え置くが、やもすれば値上げしてくるのだから、ホテル運営も相当に厳しかろう。そう思えば、スタッフたちにも同情したくなるが、せめて謙虚で丁寧さを心がける素振りくらいは見せてくれないと、客としてもやりきれないということだ。