彼のお役目はデポジットの徴収だった。途中、ご無沙汰した時期があったものの、このホテルには開業以来、何度となく宿泊し、多くのスタッフたちと顔馴染みになっていた。その多くは辞めてしまったが、今でもその人たちの顔を懐かしく思い出すことができる。時折は、今頃どうしているだろうかと、思いを馳せることだってある。だからというわけではなかろうが、このホテルでデポジットの要求に応じたことは一度もない。当然のことだが、たった一度の例外もなく、出発時には利用した代金をきちんと精算してきた。

だが、彼が言うには「会社の方針で、すべてのお客様からデポジットを頂くことになりましたので、どうかご理解下さい」とのこと。長年の顧客をつかまえて「客が信じられませんので前受け金を」と言ってのける発想は、いったいどこから出てくるのか。これは、「ああそうですか、わかりました」とすぐに受け入れられるほど単純な話ではないのだ。

考えてみれば、このホテルは最近パノラマホスピタリティがアセットマネジメントを行なうようになった。ウェスティンホテル東京や、クラウンプラザ神戸など、客を客とも思わない扱いを平然とするホテルも、パノラマホスピタリティが関わっている。その辺から想像すると、どうしても今回の件に無関係とは思えなかった。

まあいい、好きなようにすればいいのだ。他の顧客に同様のことを言って理解が得られているのかと尋ねると、「厳しいご意見も多数頂戴しております」とのこと。その客たちの財布の紐は、間違いなく固くなった。そして、このホテルに一層厳しい目を向けるようになるだろう。これまで長い付き合いだからと、客の方が大目に見ていたことも少なからずあるに違いないが、そうした贔屓目はもはや得られまい。

その結果、最も苦しい立場に立たされるのが、最前線で接客するスタッフたちだ。まったくお気の毒だが、仕方がない。今回の申し入れは、到底理解できるものではないし、認められないが、彼に免じ、次回から応じることにすると伝えると、彼はホッとしたように頭を下げた。かつては優秀なバトラーだったのに、今では頭の固い上司の言いなりかと思うと哀しい。露骨に抵抗するのは賢い方策だと思わないが、客の立場を重んじ、現場の主張を上司に理解してもらう方法もあったはずだろうに。ホテルの仕事は実力主義ではなく、制服を着たサラリーマンの集まりでしかないのか。

今回用意された客室はSPGフロアのツインルームだが、これまで利用したのとはレイアウトが異なっていた。どちらかというと、一般的なホテルルーム的レイアウトで、ベッドと反対側の壁にライティングデスクとテレビキャビネットを置いている。だが、デスクにはスタンドもコンセントもなく、まったく役に立たない。ベッドはシェラトン･スイート・スリーパー・ベッドだが、その下にはエキストラベッドが隠されている。

窓際にはイスがふたつとスツールがあるが、テーブルの類はない。ルームサービスでコーヒーを注文したが、デスクには作業中の道具を並べてしまったので、置くところがなくて困ってしまった。小さなコーヒーテーブルくらいは用意すべきだ。バスルームの設備は同等だが、シャワーやカランが異なっている。おそらく改装の時期が違っていたのだろう。以前利用したタイプも、訳のわからない内装だと思ったが、こちらは更に不思議。

朝食のルームサービスは、きっちり「いつもと同じ」味。レトルトの既製品を器に盛っただけというのがバレバレだ。もはやここは過ごすためのホテルではない。テーマパークに来た客が、ただ眠るだけの場所だ。

チェックアウト時、例のマネジャーが見送りに来るだろうと思っていたが、期待は裏切られた。自分の言いたいことを伝えてお役目を果たせば、もう用はないということか。「昨日は、到着早々貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」くらいの挨拶をするのは常識の範疇だと思うが。かつて、日本で一番快適だったホテルが、今では無礼者の巣窟に。嗚呼、情けない。