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ホテル別インデックス
レストラン別インデックス
2002年4月14日 夜
パークハイアット東京「ニューヨークグリル」
楽-1 東京型ニューヨーク
古い友人が食事に誘ってくれたので、久しぶりにプライベートな時間をくつろいで楽しむことができた。予約もすべて友人が行ってくれたので、当日は店へ出向くだけという気楽な立場だったのも、実に久しぶり。

52階へと向かうエレベータの中はとても静かだ。でも、エレベータの扉が開いた瞬間に、ダイナミックな夜景が目の前に広がり、レストランの活気あふれる空気を感じる仕掛けになっている。なんとなくシューボックス型コンサートホールの舞台袖から舞台へ進むときの感覚に似た雰囲気だ。受付で名前を告げるが、しばらく待たされる。これもいつものことだが、立ったまま待たされることに慣れていないので、これはいささか苦痛だ。やっと順番が回ってきて、席へと案内される。キッチンの脇を通って、広いダイニングを通り、まだ先へと進む。どこまで行くのかと思っていると、その先はバーの座席という、一段低くなったセクションのテーブルに案内された。この席はホール中央の席と違って、ダイナミックな感じに欠けるが、その分落ち着いた雰囲気で食事をすることができる。

周囲を見回してみると、この店のスタイリッシュさとは裏腹に、開業当時に比べるとかなり大衆的な客層で埋め尽くされていた。サービスはいつも通り、気取ってはいるが、技術的には並程度のもの。マニュアルに沿って必要なことは十分に行えるし、自然な笑顔も見せてくれるのだが、特別優れているという印象はない。まずもってタイミングを逃しすぎている。ワインを抜栓するタイミング、注ぐタイミング、皿を下げるタイミングなど、どれもゲストのペースではなく、給仕のペースで行われている。もちろん、ここは高級店ではないのだから、その程度で十分なのだが。

サービスに比べて調理の技術は以前よりも向上していた。粗野でしかなかった料理に、若干繊細さが見受けられるようになった。ところが、ニューヨークグリルサラダにはがっかり。りんごとくるみの歯ごたえをアクセントに、バルサミコビネガーをきかせたドレッシングで野菜をからめたシンプルなサラダなのだが、肝心の野菜の鮮度がファミレス以下だった。変色し、部分的には相当に痛んだものを使っていた。もしやバルサミコ酢にからまったことで、そのように見えるだけなのではと念入りに見たが、残念なことにやはり痛んでいた。それを尊大な態度で、自信たっぷりに提供されると滑稽だ。ニューヨークはこんなことが通用する街ではないと思うのだが。

2002年4月19日 昼
パークハイアット東京「梢」
楽-4 器で魅せる
この日は前回の「ニューヨークグリル」とは別の友人の誘いで食事に出掛けた。やはり予約はお任せだったので、時間通りに店へ出向くだけのお気楽コース。友人はちゃっかり遅刻。先に店に入って待つことにした。窓際の席は取れなかったと聞いていたが、運良く窓際の眺めのよいテーブルに案内されたので、よく晴れた東京の景色やメニューを眺めて待った。

顔ぶれがそろったところで、5,000円の「悦」を注文。二段の重で提供される料理は、量的に食べでがないが、手が込んでおり、目にも鮮やかで楽しい。食事中、お茶のを何度も何度も取り替えてくれ、その度に器もいろいろと替わるのが面白いが、やや行き過ぎな気もする。サービスの質は、このホテルの飲食店では突出して素晴らしく、腰も低いし、よく気がつく。周辺のテーブルでは、面白い器に盛られた料理が運ばれてきており、それを眺めるものまた興味深い。大きな火鉢のような器を箸でつついているテーブルがあり、何が入っているのかと尋ねてみたら、刺身だとのこと。端から見ると、古代の儀式か、ゲテモノ食いのようで、奇妙な図であった。

食後は「ピークラウンジ」に席が用意され、デザートはそちらで提供される。日差しがたっぷりと入り込み、明るくさわやかな空間は、なんとも心地よい。次の約束のために、くつろいでゆっくり話しをする間もなく、出発しなければならないのが残念だった。

[パークハイアット東京] 920523 930710 930715 930721 940402 960105 960921 970321 981015 990320 000319 000330 011113

Y.K.