メリディアン
2007.08.12(日)
ホテルパシフィック東京 Standard Suite
Le Meridien Pacific Tokyo
哀-3

ベッドルームのデスク越しに見る夕景 ホテルパシフィックの開業は1971年。その後、1979年からはメリディアンと提携し、昭和の時代にはまだ珍しかったフランスの香り漂うホテルとして、内外から多くの客を迎え続けている。ロビーや朝食レストランにはフランス人の姿も多く、彼らの会話は英語とは違う異国の雰囲気を感じさせてくれるが、最近ではフランス人よりも中国人と韓国人の方が多くなってきたようだ。

そんな折、2008年5月で、パシフィックとグランパシフィックの両ホテルがメリディアンとの提携を解消するというニュースが飛び込んできた。数年前にも似たようなケースがあった。京王プラザがインターコンチネンタルを外れ、現在は独自の営業活動で集客をしており、客層の変化などはあるにしても、それで十分にやっていけることを周囲に広く印象付けた。

今回のパシフィックもメリディアンの看板を外しても大丈夫たと判断したのだろうが、東京からソフィテルもなくなり、メリディアンも姿を消すとなると、フランス系が勢いをなくすようで寂しく感じる。メリディアンは、スターウッド傘下になったことで印象が大きく変化したと思われているが、実際の転機はあの大津波だったような気がする。パシフィックに直接の影響があったかどうかは知らないが、メリディアンの輝きもまた津波にさわられてしまったもののひとつだ。

メリディアンがスターウッドになり、東京周辺には急にそのグループホテルが増えた。そこへ更に都ホテルがシェラトンになったことで、至近距離で客を奪い合う現象が生じるようになった。そればかりでなく、東京には外資系ラグジュアリーホテルが相次いでオープンし、このホテルが開業したころに担っていた役割はすでに失われつつあるのも事実。これからの時代に、客からこの巨艦ホテルをどのように使ってもらうのかを熟慮すれば、意識の入れ替えが必要になってくるのかもしれない。

ただ、長年メリディアンに親しんだひとりの客として、外資の看板を外すことに対しては、大変残念な気持ちがぬぐいきれないのだ。これから先、東京にどんなに高級なホテルが開業しようとも、ここのようにスケールが大きな総合的ホテルはもう誕生しないだろう。立地もよく、なにかと使いやすいことがこうした大型ホテルの魅力であるが、それは今後も失われることはない。いつまでも、国際色豊な人々による活気が絶えないホテルで在り続けて欲しい。

今日の客室は、前回利用したビジネススイートと同じフロアにあるダブルベッドのスタンダードスイート。とても低い階だが、ベッドルームから屋外プールがよく見えるので、混雑状況を確認してからプールに行けるのがいい。ダブルベッドのスイートは以前にも利用したことがあるが、その部屋とはインテリアの一部が違っている。以前のタイプにはFAXが備わっていたが、今回のにはなかった。

お盆だからか、いつもは賑わっているロビーラウンジも、いつになくガラガラだった。屋外プールはそれなりの混雑だったものの、例年と比較すると空いている方。気候が大きく影響しているものと思われる。お天気だけは、努力ではどうにもできないか。

 

リビングルーム 窓際にソファとテレビキャビネット 円形のダイニングテーブル

ベッドルーム ベッドは160センチ幅 ベッドルームのテレビ

 
ホテルパシフィック東京 000105 000418 000927 020315 020608 030225 030713 030802 031231 050822 051125 060611 060627 060710 060729 060804 060813 060819 060913 060917 060918 061231 070106 070317 070720


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