今晩、気の置けない友人の誘いで訪れたのは、フレンチレストラン「ヴァンサン」。
週末の六本木、ひとときの享楽を求めてさまよう人々を後目に、六本木交差点から東京タワーの方角に歩き、喧騒が途切れた辺りで路地を入ると、「ヴァンサン」のエントランスへと続く階段があります。
ちょうどそこに差し掛かったところで、道の反対から歩み寄る友人の目にとまり、揃って店のドアを開けました。
この店を訪ねるのはこれで2度目。なのに、通いなれた店に帰って来たような安心感に満たされるのは、落ち着いた内装や数々の美術品が醸す気品によるものでしょうか。
そして、かわらぬよいものを大切にしている心意気がそこかしこに見受けられ、今日も素敵な時間を過ごせそうな予感に包まれます。
先客の食卓からも和やかで心地よい雰囲気が漂い、見知らぬ客とさえも気持ちが通じ合いそうな感覚は、まるで田舎のオーベルジュを訪ねた時を彷彿とさせます。
店のオーナーシェフは、日本のフレンチ界にはなくてはならない存在の実力者で、かの「料理の鉄人」でも腕を鳴らしたそうですが、ご本人に気取った風はまったくなく、調理の合間を縫っては各テーブルを回り、客とのコミュニケーションを自ら楽しんでいます。
その様子からもうかがえる通り、シェフは優れた料理人であると同時に、根っからのサービス人でもあり、そんなシェフを慕う常連も多いようです。
私たちのテーブルにも何度となく立ち寄り、料理やフランス文化について、興味深いエピソードを聞かせてくれました。
私が音楽家だと知ると、音楽や芸術に関する話題にも触れ、音楽家と料理人それぞれの哲学や精神性といった深い内容の会話を通じ、互いの共通点にも気付かせてくれました。
料理の腕はもちろんのこと、話題が豊富で同時に聞き上手と、とことん客を楽しませてくれます。
さて、今日の料理テーマは「ホワイトアスパラガス」と、あらかじめリクエストしてありました。
シェフの創意工夫が込められたメニュは、前菜2皿、スープ、魚、肉、デセールの6皿構成。
全体で8本ものフランス産ホワイトアスパラガスを使い、キャビア、フォアグラ、トリュフ、自家製カラスミなどをあしらいつつ、実に印象的なソースで仕上げた皿が続きます。
ホワイトアスパラガスに合わせたワインは、Sancerre d’Antan SILEX Domaine Henti Bourgeois。ソービニヨンブランはどちらかというと好みではないのですが、華やかな酸味の一方で濃縮された感じがあって、思いのほか美味しく飲めました。
見事なのは、どの皿にも「これが余計、これが不足」といった点がまったく見当たらず、理想的なバランスで仕上がっていること。
温度も素晴らしく、すべての皿が最適な状態でサーブされました。
様々な食材は互いに引き立て合い、心地よいハーモニーを奏でていて、一口ごとに、これら豊かな恵みに感謝せずにいられません。
現代フランス料理の中でも王道をいくスタイルですが、美味しいものはいつの時代にも美味しいのです。
今回のメニュには、生涯忘れられない味覚がたくさんありました。
一瞬の驚きだけで記憶が薄れていく皿がもてはやされる現代だからこそ、このような力強い存在感を持った料理には一層の価値を感じました。