こどもらしいポップでキュートな絵たち。
これは、私が全国各地の学校を訪問して開催したコンサートで、演奏を聞いたこどもたちが、感想文とともに私に送ってくれた、私のたからものです。
最近では、何かイヤなことや悲しいことがあると、これらを取りだし、なにげなく眺めます。
すると、不思議なことに気持ちがスッと軽くなり、そればかりか、なんだか楽しい気分になってきます。
学校への訪問コンサートは、大抵の場合、体育館で行われます。
ふだん、こどもたちが運動をしたり、入学式や始業式をするために使っている空間が、音楽会の会場になります。
かといって、特別な装飾や演出はありません。
せいぜい、いつもより熱心に清掃するくらいで、特別変わったことはないのですが、不思議なことに音が響き始めると、次第に空気が変わりだし、しばらくすると本当にコンサートホールのような雰囲気になります。
この変化を一番敏感に感じているのはこどもたちかもしれません。
私は、こどもたちが対象だからといって、子供向けの曲を並べたりはせず、ほとんどいつもと同じようにクラシックを中心としたプログラムを組みます。
ただ楽しい時間を提供するのも私にとって簡単なことですが、それなら私よりも相応しい人がたくさんいるでしょう。
そこをあえて私を選んでくれたのですから、私の真価を示さなければ、手を抜いたことになります。
こどもの前で手ぬるいものを見せるのは、こどもに対して無礼であるだけでなく、結局自分自身が打ち砕かれることにつながります。
こどもたちは、まず私がステージに登場した瞬間、私の品定めをします。
ほんの一瞬で、舞台の人が自分たちにとって価値があるかを見抜き、そうでないと判断するやいなや、関心を逸らし、意識が別のものに向いていきます。
こどもたちに受け入れられるためには、まず、親近感があり、好奇心の対象となる必要があります。
その際、私の武器は、こどもたちの上でも下でもない、完全なる対等な視点、そして彼らにとって未知の気品と知性を、手を伸ばせばいつでも触れられる距離に置くことです。
私が登場してから楽器に向かうまでのわずかな間に、こどもたちからは、私に向かって意識の糸が無数に放たれ、私はこどもたちの気持ちを強く感じながら演奏を始めます。
そして今度は、その糸をつたい、私から彼らに音楽を注ぎこんでいきます。
こうして言葉では言い表せない無言のコミュニケーションが成立するのです。
しかし、コンサートが終わっても、すぐに次の会場へ向けて出発しなければならないことが多く、こどもたちと直接の会話をする機会はほとんど持てません。
私の思いは、どのくらい伝わったのか。音楽の中に、何を見てくれたのか。
今日の体験も、明日の経験に上書きされて、たちまち色あせていくのではないか、などなど、不安は尽きません。
ところが、後に届けられる感想文を読むと、私が想像していたよりも、ずっと多くを感じとってくれていたことが、実によくわかります。
中学生ともなれば、私が言葉で語ったわけでもないのに、そこまで解釈してくれたのかと、驚くこともしばしばです。
低学年のこどもたちは、かわいいイラストを添えてくれることがあります。
上の写真は、そのごく一部です。
黒タキシードの私や動物たちも心なごみますが、特に今回取り上げたいのは、ポップなデザインのエレクトーン。
こどもならではの感性で描いてくれたエレクトーンの姿は、とても夢いっぱいで、素敵な音が聞こえてきそうです。
昨日話題にしたエレクトーンデザインの参考に、ぜひヤマハの開発の方にも見てもらいたいイラストです。
今年も、各地の小中学校を訪問する予定です。
どんなこどもたちに会えるのか、とても楽しみです。