私はきれい好きです。でも潔癖症ではありません。
熱帯雨林やサバンナの冒険にも好んでチャレンジし、衛生状態が劣悪な環境にも幾度となく身を投じて来ました。
冒険旅行で野営をする際には、当然、食卓もトイレもありませんが、不潔だとわかっていても不思議と気にならないものです。
でも、どんなに不衛生な環境でも、ものを散らかすことはありませんでした。限られた荷物に、不必要なものを入れ込む余裕はなく、どれひとつなくしたり壊したりすることができないので、おのずとものを大切にします。
紛失や損壊を防ぐ最良の方法は整理整頓。
私は、楽屋でも卓上に必要なものを適切な状態に陳列し、頭を使わなくてもそれらにいつでも手が届くようにしておきます。
そうすれば、いつも音楽に集中していられるというわけです。
でも、今日話題にしたいのは整理整頓ではなく、清潔についてです。
しかも、不潔かそうでないかという低次元の話ではなく、気が引き締まるレベルの清潔さに関することです。
世界で最も高度な衛生環境がある日本ですから、ことさら心がけなくとも、清潔を保つことは簡単です。
水が豊富な日本ですから、毎日の入浴や洗濯を怠らなければ、衛生的理由で人に不快感を与えることもないでしょう。
しかし、だらしない生活を続けると、気持ちは確かに堕落します。
そのだらしない気持ちが原因で、人に不快感を与えることはありえると思います。
私は、いわゆる最高級カテゴリーのホテルに滞在する機会に恵まれていますが、そこでの清掃状態が年々悪化していることが気になってなりません。
見事な建築と内装、うっとりするような調度品に囲まれた空間は、まさにラグジュアリーホテルに相応しいクオリティであっても、清掃が行き届いていなかったら、価値は台無しです。
1泊に対し、スーツやパソコンが新調できるような料金を取りながら、万全でない部屋に案内する、そのプライドのなさが残念なのです。
清掃とは心配りの結晶です。
ハウスキーパーにとって、お客様を歓迎する心とは、清潔な部屋を提供することに他なりません。
洗練された空間をベストな状態に保ち続けてこそ、ハウスキーパーです。
私は客室に案内されると、まず、そこにはすでにいないハウスキーパーの姿を想像しますが、部屋の状態を見れば、その仕事ぶりは鮮明に浮かび上がってきます。
まくらひとつをどのような所作で置いたのか、鏡一枚にどのような圧力で布を滑らせたのか。
そこに仕事の質と歓迎の精神すべてが焼き付いているのです。
ハウスキーパーに心の目があったかどうか。これもまた気になるところです。
マニュアル通りの流れ作業で、ホテル客室はベストな状態とはなりません。
なぜなら、お客様は多種多様で、部屋の使い方もお客様ひと組ごとに異なるからです。
前の客が小さな子供連れならば、低い位置に汚れが多くみられるでしょうし、ゴミ箱にビールの缶があれば、どこかに飲みこぼしがあるかもしれません。
清掃に取り掛かるにあたり、部屋に入った瞬間に感じるにおいにも、清掃のポイントを知らせるヒントが含まれているでしょう。
こうして心の目を活用して仕上げられた部屋には、整ったいい空気が漂います。
逆に通り一遍の作業に終わった部屋には、見落としが散見され、だらしない雰囲気になります。
私が求めているのは、清潔を心がける精神の先に生じる、この整った空気です。
その空気こそが、気持ちをも整えてくれるのです。