礼節を重んじる

今日もまた、若き音楽家たちへメッセージを贈ります。

私が音楽家として生きる中で、最も痛切に感じているのが、礼節を重んじることの大切さです。

音楽家として成功するにあたり、音楽的能力に長けていなければならないのは言うまでもありませんが、プロフェッショナルな世界で活躍する人々は、だれもがずば抜けて優れた能力を持っています。
いわば、天才であって当たり前で、それは少しも自慢になりません。

溢れんばかりの才能のるつぼで、ひときわ抜きんでるには、専門技術だけでは不十分です。

では、紙一重の差で競っている相手の上に出るにあたり、何がものを言うかというと、やはり礼儀、すなわち周囲への敬意の示し方なのです。

発表会も、コンクールも、まして大規模なコンサートともなれば、非常に多くの方々の協力なくしては成功しません。

企画をする人、チラシをデザインしたり印刷する人、スケジュールを管理する人、会場を手配する人・・・準備だけでも大がかりです。
当日には、照明さん、音響さん、舞台監督さん、受付係さん、案内係さんなどなど、演奏する人以外にも、たくさんのスタッフが必要です。
そして、肝心なのが、チケットを一枚一枚売ってくれる人、声を大にして誘い合わせてくれる人、そして会場に足を運んでくれるお客様。

こうしたたくさんの人々に見守られ、そのおかげで演奏する場が整うのです。

ひとりひとり全員に挨拶するのは、物理的に難しいのが現実ですが、せめて感謝を伝えるチャンスを持てる人には、それを直接伝えましょう。

自分の演奏が終わったら、さっさと帰るのではなく、できれば最後まで残って、片づけをしている照明さんや音響さんにも「今日は大変お世話になり、ありがとうございました。おかげで気持ちよく演奏できました。またよろしくお願いします。」と声を掛ける。すると、自分もとても気分がいいと思います。

残念ながら直接全員に伝えられなくとも、そのように心がけていれば、演奏からもおのずと気持ちが伝わるかもしれません。

以前、私のリサイタルの時、こんなエピソードがありました。
リハーサルを終え、ひとりでなにげなくホワイエにでていた時、ちょうどトイレ掃除のおばさんに出会いました。
私はきれいなトイレもまたリサイタルの格を高めてくれるものと思っていますので、きちんと挨拶をしました。

翌年、また同じおばさんがトイレを掃除していて、この日をとても楽しみにしていたと言ってくれました。たぶん、トイレもいつもより一層ピカピカにしてくれたことでしょう。
毎日のように素晴らしい演奏家が出演するホールで、私のことを覚えていてくれたことが嬉しかっただけでなく、演奏に際して大きな自信を与えてくれました。

ある一流のホールでコンサートをさせてもらった時、終演後にもう一度舞台を訪れ、片づけをしているスタッフさんたちに礼を述べて回ると、皆さんが手を止めて拍手を贈ってくれました。そして「神田さん、また必ず来て下さい!待ってます」と言ってくれ、涙が出るほど嬉しかったことを鮮明に覚えています。

しかし、私は誰にでもペコペコと頭を下げて回っているわけではありません。
五感を研ぎ澄まし、誰がきちんと仕事をしているのか、誰が気を抜いて適当なことをしているのかを、しっかりと見極めています。

そして、適当な仕事をしている人のことは、相手にしません。
なので、そういう人から見れば、私は極めて感じの悪い、イヤな人だろうと思います。

誰かれ構わず感謝していたら、本当の感謝が伝えられなくなりますし、おべんちゃらで適当なことを言っていたら、今度は自分自身がバカにされます。

いいものはいい、だめなものはだめ。それをきちんと見分ける目が大切です。

ことわざに「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」という名言がありますね。
私も生意気の盛りだった頃、この言葉を引用されて謙虚になることを勧められました。
この言葉のポイントは「実るほど」という部分です。
実りもしていないのに頭を下げていたら、実る前に弱って腐ったと思われ、刈り取られてしまいます。
多少の生意気は若さで許されますから、若い時はピンとまっすぐ天に向かって伸びて下さい。