喜怒哀楽というディープな世界

私のオフィシャルサイトには、コンサートの情報やプロフィール、写真ギャラリーの他に、喜怒哀楽というコンテンツがあります。

喜怒哀楽は、私がこれまで宿泊したホテルでのエピソードをまとめた、いわゆるホテルレビューですが、単にあそこがよかった、ここがよくなかったという具体的な情報を羅列したものとは違います。

もちろん、内容のすべては実際に自ら体験したものであり、一切の脚色や誇張はありません。ただ、私の主観で書いていますので、他の人が同じ体験をしたとしても、必ずしも同様の感想を抱くとも限りませんし、むしろ異なる感じ方をする人の方が多いでしょう。

この喜怒哀楽。スタートは1991年です。実はウェブで公開することなどまったく想定せずに、ただ私自身の体験を綴る「日記」として記していました。

なぜホテルやレストランでの体験に絞ったかというと、レストランやホテルで日々よりよいサービスを模索する大切な友人のために、何かヒントになる情報を収集したいという思いが根底にありました。

これとは別に、パーソナルな日記は、40年間1日も欠かさず記し続けていますし、このブログもある意味日記のようなものですから、私は3スタイルの日記を書いていることになります。

正直、限られた時間の中で、これらを続けることは困難な場合もありますが、習慣が出来ているので苦にはなりません。

これらの日記は、それぞれ語り口や表現しているものが違います。パーソナルな日記が一番私の心を正確に映し出していると思いますが、このブログに関しては、多くの皆さまにお読みいただくことを前提に書いていますので、ややよそいきの気分がありますし、あまり衝撃的な表現はしないようにと、かなり抑制をきかせています。

喜怒哀楽もそれなりに加減はしていますが、基本的に私の心のつぶやきですので、かなりドラスティックです。

しかし、なぜそこまでドラスティックになれるのか。
我ながら、どうでもいいことに執着しすぎると思うことが少なくありません。
その一方で、どうでもいいことを大切に扱わなければ、つまらないところでほころびが生じ、やがてその傷が大きくなっていくという考えもあります。

高級ホテルというのは、その都市の格をあらわしています。
世界的な主要都市には優れたホテルがあり、ホテルの洗練度がすなわち都市の洗練度でもあります。

現在、日本で営業中のホテルは約9,500軒。そのうち一流と言えるホテルは、私のものさしでは30軒程度ですが、自称一流ホテルはその10倍くらいはあります。

では一流ホテルの条件とはなんでしょうか。
立派で豪華な設備、便利な立地、卓越したサービスなどなど、例をあげればきりがありませんが、その都市の品格をリードする存在であることというもの重要な条件です。

そして、一流ホテルが満足させなければならないのは、国賓やセレブばかりでなく、訪れたすべてのお客様なのですから、ホテルの品格を判断するのも、ひとりひとりのお客様なのです。

すべてのお客様にとって一流ホテルであり続けるには、細かい失敗を些細なことと流してしまうわけにはいきません。
壮大なオペラやシンフォニーを世紀の名演と言わしめるよう演奏する際には、音符ひとつ、記号ひとつの見落としが命取りになります。

かといって、仮に完ぺきな解釈とほころびのない演奏が実現したとしても、ゆとりや風格なくして極上の演奏にはなりません。
一流であるには、微細なことにも留意しながら、極めて困難なことを、継続的にやすやすとやり続けなければならないのです。

東京にも最高級ホテルはたくさんありますが、一流ホテルはごくわずか。
私は最高級ホテルに泊まる度に、一流であれとエールを送ります。
安い給料で昼夜を問わず最善を尽くすサービス人たちに、本当のやりがいに目覚めて欲しいと願いつつ、今日も毒舌をふるっているのです。