真夏の風と海の底

沖縄滞在4日目。この日は文句なしの晴れ間が広がり、流れる雲と照りつける太陽に、今年初めて真夏を感じました。前の日も天気は悪くなかったのですが、太陽の輝きがまったく違います。少し外を歩くだけでも日差しが痛いという感じですし、明るい光に弱い私は目を開けていることも困難でした。

夕方まで自由な時間があったので、ホテルの敷地内を散策したり、カフェでアフタヌーンティをしたりして、有意義に過ごしました。たった半日ですが、こんなにのんびりとした気分になったのは、本当に久しぶりです。

最初に向かったのは、岬の先端にある海中展望塔。この施設が開業したのは1970年ですから、沖縄の復帰よりも先のことでした。私が子供のころ、パスポートを持ってここに来たことがあり、色鮮やかな魚たちと美しいサンゴ礁にすっかり魅了された記憶があります。

今回、海中ののぞき穴から海を見て、記憶とはまったく違う死んだサンゴばかりの世界にショックを受けました。沖縄本島付近の海は、すっかり死滅してしまったと聞いていたので、ある程度の心構えを持って見たつもりですが、やはり現実を目の当たりにするのは、人から聞くのとはまったく違う印象を残します。

餌付けされた魚たちは、気楽に群れていますし、スーパーマーケットに並ぶ死んだ魚や切り身の魚しか見たことのない子供たちには、ワクワクする光景なのかもしれません。でも本当の生きた海はこんな眺めではないはずです。

それを大人が「さすが本物の海は違う!」と感嘆している様子を見ると、複雑な心境になります。これと似た状況は北海道の有名な動物園でも連日繰り広げられていることでしょう。

本当の野生動物たちは、自らの命を生き抜くために、常にギリギリのラインに立たされています。そうした状態の生き物は、凛としたオーラを発していますし、ゾクッとするほど美しいものです。懸命に生きる必要のなくなった動物には、残念ながらそうした輝きを見て取ることはできません。

もちろん、動物園や水族館の存在意義に異を唱えるつもりはありません。それどころか、表面的な楽しさ以上に、私たちに重く深いメッセージを伝えてくれていることに、私たち人間はしっかり気付くべきではないかと思うのです。

動物たちも懸命に生きているのに、私たちはどうなのでしょう。
アラビア半島で道に迷えば間違いなく24時間以内に死にますが、私たちは帰り路を知っているというのに、何をそんなに嘆いているのでしょう。

時折、広い地球の出来事を思うと、自分の悩みが些細なことであって、少し視点を変えれば解決可能であると気付かされます。
昨晩は満月のせいで、今日は死んだサンゴに群がる魚のせいで、ちょっとセンチメンタルな気分になっているのでしょうか。

真っ赤な花を見て情熱を燃やしたり、真っ青な海に自分の心のサイズを照らし合わせては、まだまだだと奮起したり、たまにのんびりする時間なんて、持てば持つだけ溜息が増えそうです。

やはり私は時間に追われ、夢を追う人生の方が性に合っているようです。