神田将は酒豪である。
なぜか、そんなイメージを持たれることが多いのですが、実のところ、私はめっぽう酒に弱いのです。
成人するまではまったく飲めないクチで、わずかにアルコールが含まれている料理や菓子でも、それらを口にしようものならたちまち顔を真っ赤に染めて、しばらくの後には頭痛に悩まされると、筋書きが決まっていました。
このように、明らかにアルコールを消化する能力に欠ける体質なのです。
でも、飲酒を強要するような人を私は友人にしませんので、無理に飲まされて大変だったという経験にも無縁です。
でも、酒に弱いからといって、決して酒がキライなことはありません。
むしろ酒には興味津津ですし、私の人生になくてはならない存在です。
ご存知の通り、私はレストラン好き。
学生の頃から、美味しい料理を求めてあちこち旅をしました。味と同時に内装や客層が醸し出す雰囲気にも興味があったので、そうしたトータルでのバランスが取れた名店を尋ねることが多くなります。
洋食の場合、欠かせないのがワイン。
レストランにはワインリストがあり、その品揃えや保存状態、サービスの技術もまた、店の格に大きく影響しますので、名店のリストは眺めるだけでも圧巻です。
私が一番ワインを楽しんでいたのは、1980年代後半から90年代の初めまで。毎晩のように実に様々な銘柄と年代のワインを味わいました。当時はさほど値段は高くありませんでしたが、由緒ある造り手の貴重なワインともなれば、ソムリエたちはまるでダビンチやミケランジェロの名作を扱うような慎重さと美しい所作で、それらを食卓にサービスしてくれたものです。
先日、とあるレストランのリストを眺めながら、かつて飲んだことのある銘柄とビンテージのものを目で追い、いやしくもそれらの値段を合算してみたところ、軽く一千万円を越えてしまいました。
もちろん当時はそんなに高くはなく、今の値段が異常なのですが、改めてかつて味わった時の香りや口当たりを思い出し、どんなに刺激的なキスよりも価値があったと、改めて納得したのでした。
でも、どんなに私を虜にする素晴らしいワインだろうと、私はほんの少し味見をするだけ。グラスの半分もあれば十分楽しめますし、不思議なことにその記憶は決して色あせません。
音楽で各地を旅するようになって、世界中の酒を味わいましたが、最近は日本の酒に惹かれています。
私に日本酒の楽しさを教えてくれたのは、以前にもご紹介した和田龍さん。やはり造り手の顔がわかると、その味わいは何倍にも膨らみます。ましてや、どれだけ手塩に掛けて造り上げているかも聞いているので、一口ごとに感じることの深さが違います。
音楽もそうですが、うんちくではなく、その精神性を知ることで、五感で得た感覚が脳の中で落ち着く場所が変わってくるというか、脳内の上座に送られるような感覚になるのは私だけでしょうか。
また、近年は九州地方を訪れることが多く、焼酎のたしなみ方も、現地の方々の指南をいただいて、だいぶ慣れ親しんできました。芋やら麦やら米やら様々ありますが、やはり手間暇惜しまず丹精込めて造られた品には、他にはない深みがありますし、よい料理にもよく合います。
しかし、あれほど酒に弱かった私が、最近では結構な量を飲めるようになったから不思議です。年老いて、アルコールに対する感受性が鈍っただけなのかもしれませんが、確かに許容量は増えました。
「食べっぷり、飲みっぷりも芸のうち」と心得て、周囲の皆さんがなるべく気分よく過ごせるようにお付き合いするようにはしているのですが、どうしても飲めない時があります。
それは翌日の午前に演奏がある場合。やはり、どうしても残ってしまいますし、わずかにでも演奏の感度が鈍った際に、それを酒のせいにしたくないからです。
酒は飲んでも飲まれるな。これもよく聞くフレーズですね。私も生涯それを貫いており、いまだかつて一度も「しらふ」を失ったことはありません。
酒が醸すくつろぎもあれば、酒がつくろう縁もあるでしょう。これからも、弱いながらに、酒とは粋な付き合いをしていきたいと思います。