日頃、何気なく目にする光景の中、特に大都会の日常では、とても多くの人々を見かけます。
目を合わせることも、会話をすることもなく、おそらくこれきり二度と近接することもない人々がほとんどです。
私は雑踏は苦手ですが、目が回るほどの人ごみでなければ、人間ウォッチングをするのが好き。
ちょっと一息入れようと入ったカフェで、旅の列車や飛行機の中で、あるいは私自身が立っている舞台から客席へ視線を向けて、人々がどんな表情をしているのかを見て、語らない人たちの気持ちを想像するのは楽しいものです。
かつては、うらやむほどに幸せそうな人々にもあちこちで遭遇していましたが、最近はとんと見かけなくなりました。
産まれたばかりの我が子を慈しむ母親の指先。海の見えるレストランの片隅で、久しぶりに恋人同士の気持ちで見つめあう老夫婦のやわらかな視線。友だちの旅立ちをホームで見送る青年の希望。
日常の光景の中にある様々な輝きに、人のささやかな幸せを感じ、見ている私までそのおすそわけをしてもらったような心地よさに包まれることって、最近、本当に少なくなりました。
つい先日も宿泊先のホテルルームからチャペルが見えていて、何組かの新しい夫婦が誕生していましたが、そのブーケトスを見ていても、確かに楽しそうではありますが、ハピネスが伝わって来ません。
人はこのまま幸福感を忘れてしまうのでしょうか。
楽しさは発散するものですが、幸福とは受け入れるものです。
私が最も幸せそうな人々の顔を見るのは、コンサートの終演後。手前みそかもしれませんが、私のコンサートが終わった後は、お客様が本当にいい表情をしています。
それは、私の演奏がよかったからではなく、私が選りすぐりの「ハッピーになれる曲」を惜しみなく演奏し、それを皆様が心とすべての細胞に受け入れてくれたからでしょう。
ウキウキ・ワクワクの気分もいいものですが、時にはしみじみと幸福感を味わってみませんか。