私の誇り

昨日は香川で一日を過ごし、以前体調を崩して数日間留まることになったホテルに宿泊しましたが、今回は夏バテもなく元気いっぱいにチェックアウトすることができました。

高松駅で「エビ天ぶっかけ」をささっと流し込み、鉄道を乗り継いで大阪へ。まずは今夜からのホテルにチェックインを済ませ、かつて1年だけ特別ゼミを受け持ったヤマハなんばセンターに向かいました。

久しぶりに訪れたなんばセンターでは、いつも私に勇気を与えてくれる先生方に偶然お目に掛かることができ、またまたパワーを頂いてきました。

ホテルに戻ってから、屋内プールで日課をこなし、心地よい疲労感に包まれながら、たまっている事務作業をしたり、明日以降のプランを練って過ごしました。

そんな折にも、全国から次々とメールや電話の連絡が入り、手が休まる時がありませんが、今日は特にコンクールに出場している若き音楽家たちからの結果報告も多く飛び込んできて、その度に一喜一憂しています。

エレクトーンの狭い世界でのコンクールとはいえ、出場者がそこに注ぐ情熱の深さは相当なもの。本人ばかりでなく、担当講師や家族もありったけの力でサポートし、1年がかりで万全の態勢を整えて臨んでいますが、希望通りの結果を残せる人はほんの一握りです。

だからこそ、頂点を目指して努力を重ねる意味があるのかもしれませんが、最も大切なのはそこに至るまでの道のりで経験することがらだろうと思います。

今年も、何人もの出場者が私と向き合っているのですが、その中で、私は「指導する」というスタンスを捨て、選んだ曲の意味するものを一緒になって探ることに専念しました。

演奏する本人が納得していなければ、演奏で人の心を動かすことはできませんので、頭ごなしに結論を与えるのではなく、一緒になって試行錯誤を重ねながら、確実に洗練を導き出す方法を貫きました。

そして、子供たちそれぞれの持ち味や、その年齢だからこそ可能な表現に寛容になることで、より生き生きとした演奏を導き出したいと思っています。

人生の成熟があってこそ得られる音楽表現を、結果だけ先取りする形で子供に求めるのは不自然なことですし、あそこがだめ、ここが下手と欠点を正すことも必要な一方で、優れた点に対し深く共感してやることを大切にしたいもの。

弾く喜びを何倍にも膨らませてやることが私の使命であり、そのためにはまず相手を信頼してやることだと思います。

そして、私は接している子供たちの一番のファンであり続けています。豊かな気持ちをのびのびと発散している子供たちの演奏は、生き生きとしていて、いつまででも聞いていたいほどです。

見事入賞を果たした子、悔し涙に暮れた子、結果だけ見れば運命を二分しているようでもありますが、どちらも私が応援してやまない、ステキな演奏家です。

今は「勝つために弾く」のが目的の子もいるでしょうが、本当の動機は「弾きたいから弾く」という自分の意思であるはずです。そして、そこに「自分の演奏を求めてくれる人のために弾く」という思いが加われば、弾く喜びは大きく膨らみます。

私自身、弾くことは何にも勝る喜びであり、たとえ誰にも求められなくても弾き続ける運命だとは思いますが、私の演奏を待ってくれている人たちの存在こそが、私のよりどころであり、弾くことの意味なのです。

コンクールの結果がどうであれ、私はみんなの演奏を心から愛していますし、私をそんな気分にさせてくれるみんなを誇りに思っています。