飛び立つ前の身構え

ここ数日、私はものごとにまったく身が入りません。思考は鈍り、持ち前の積極的な姿勢まで鳴りを潜め、ただぼんやりとなすがままに任せているという感じ。特に落ち込んでいるわけでもなく、冷静でニュートラルな状態が続いています。

こんな時は、何に対しても興味がわきません。いつもなら知的好奇心を刺激してくれるようなことがらにも、シニカルな反応しかできなくなってしまいました。

かといって、呼吸を止めてしまうわけにはいかないのと同じで、日常のルーチンはこなさなければなりませんし、すべきことにはかろうじて取り組み続けています。

いつもなら、早朝のランニングや水泳をすれば気分爽快、頭もスッキリするのですが、ここ数日はその効果も薄く、シャワーをあびながら自分の状態を「まるでゾンビだな」と自嘲しながらも、「これは忌々しき事態なのでは?」と心の奥で不安に駆られています。

「すべきこと」に追われながら、こんな醒めた気持ちでも、案外ものごとは淡々と進めていけるものなんだなと変な感心もありますが、やはり私らしくないという違和感がつきまとい、釈然としません。

こんな気分の只中だからか、あるいは気付くべくして気付いたのか、私がいつも恐れている「興ざめ」にも、重ねて遭遇しました。その際、気持ちが一瞬で冷めると同時に、なぜ今の今まで情熱を傾けていられたのかを考えてみました。

私が何かに並みでない熱意を注ぐのは、それに関わることに誇りを感じられる時です。

何かに貢献するにしても、誰かを導くにしても、相手に高いこころざしとゆるぎない決意がなければ、私自身が血のにじむ努力を重ねて得てきたものを惜しみなく差し出す気持ちにはなれません。

これ以上、意欲が低下すると、なにもかもバカらしくなってしまいそうで怖いのですが、おそらくそうはならないでしょう。

こうした状態は過去にも何度となく経験しており、それは決まって猛烈な力を発揮する直前に訪れる、ある種の洗礼のようなもの。いわば、今はさなぎのような段階なのかもしれません。

ここを脱すれば、私は不敵の弾丸となって、また周囲を焦がすようになるに違いありません。過酷で長丁場のシーズンに向けて飛び立つために、今はじっと身構えているところです。