Tokyo Symphoniaが終わってから、ずっとひとりきりで過ごしています。
最後に会ったのは、終演後に自宅まで送ってくれた弟子たち。その後は知り合いに会うことなく、部屋にこもっています。
外出するといえば、食事とランニングの時だけ。特に人と会話する機会もないので、きらいな自分の声を忘れそうです。
今週は楽しみにしていた約束や予定がたくさんありました。19日は神宮外苑の花火大会。20日からはペニンシュラ東京のスイートでシーズン前の最後の休日を満喫しようと、何ヶ月も前から予約してありました。
この他にも友人とのランチや、リサイタルで着る服の採寸、スパトリートメント、楽しくはないけれどタロウを送る会など、毎日外出する目的があったのですが、すべてキャンセル。
今週は自発的なゆるい蟄居を決め込むことにしました。どこにも出掛けなくても、私は毎日旅をしている気分です。それは音楽の旅。
様々な国の作曲家による作品を丁寧にひも解いているだけで、その国の空気に包まれた感覚となり、次第に風景さえ見えて来ます。
また、来週予定されているプラネタリウムでのイベントで必要なため、恐竜が繁栄していた時代を彷彿とさせる曲をひとつ作りました。行ったこともない、見たこともない世界を描くのは、むしろ自由で楽でした。
行ったことのない世界といえば、ホルストの「火星」に続いて、「木星」を仕上げていますが、この作品の演奏表現にはいつも迷いがあります。太陽系最大の惑星である現実の木星と、ホルストが曲に込めたであろう意図とが重ならないからです。
私はこの「惑星」という組曲を、標題音楽ととらえられません。「火星」には「戦争をもたらすもの」、「木星」には「快楽をもたらすもの」とサブタイトルが付けられているので、天文学より占星術に着想があることはわかるのですが、「木星」を弾いていると、「快楽」という言葉よりも、幅の広い意味での「喜び」、しかも精神的なものを強く感じます。
なので、どうしてホルストがこの組曲を「惑星」と名付けたのかを、私は不思議に思っています。
単にコンサートピースとしてなら、天文学と一線を画した解釈で演奏するのもいいでしょうけれど、今回は天文学の象徴でもあるプラネタリウムでのコンサートですので、宇宙とのつながりやイメージを無視するわけにはいきません。
そのあたりをしっくりと調整するのに苦労していますが、このように考えを巡らせながら準備するのは、結構楽しいものです。
さあ、あと数日だけ「一人旅」をして、来週はまたちょっぴりオトナになってステージに登場しようと思います。