自宅で目覚める久しぶりの朝。外泊が多く、自宅のありがたみなど体は忘れているかと思っていたけれど、案外深い安堵感を与えてくれるようです。
無意識のうちに全身がリラックスしているのでしょうか。筋肉ばかりでなく、気持ちの上でも緩んでくるのでしょうか。保たなければならない緊張感が、意に反して崩れていくのがわかります。
逆に、ホテル住まいというのは、どんなに居心地のよい部屋であっても、常にある種の緊張感と共に過ごすもの。深くくつろいでいるようでいながら、どこかに仮住まいの感覚があり、そこに根を下ろすことはありません。
私にとってホテルの利便性は、まさにそこにあります。やり遂げなければないことに囲まれた時、時間が来たら部屋を追われるのだというデッドラインが緊張感を保ち、背中を押してくれます。
自宅は確かに落ち着きますが、気を緩めてはいけない時には、不都合もおおいことがわかりました。
夕方は、リサイタルで司会を務めて下さることになったベテランアナウンサー、棟方宏一さんと打ち合わせのため、ホテルニューオータニへ。少し早く到着したので、このホテルの魅力のひとつになっている見事な庭園を散策しました。
ほとんど人の姿はなく、かすかな風に揺れる木々の葉や、池を漂う鯉たちが、なんともゆったりとした気持ちにさせてくれます。東北の大自然から離れ、コンクリートに囲まれていると、こうした緑豊かな場所への禁断症状がでてきます。
約束より少し早目にロビーに戻りましたが、すでに棟方さんのお姿があり、もっと早く来るべきだったと反省。ガーデンを見渡すラウンジに席を移し、リサイタルの舞台についての相談をしました。
私のコンサートでは、自分で弾いて自分でしゃべって、まさにひとりきりで舞台を務めることが多いのですが、これには不都合もあります。
しゃべり終えて、楽器に向かってから、次の演奏曲にのぞむ心構えが十分にできないままに演奏を始めなければならないのは、時に不本意な気持ちさえ伴うことがあります。
決して話すことは嫌いでも苦手でもありませんし、演奏者の生の声というのは、コンサートに特別な彩りを添えるので、私自身がまったく話さないというのも物足りなさがあるかもしれません。
しかし、リサイタルではできるだけ演奏に集中したいというのが本音。話すことで失われる集中力やエネルギーを演奏に注ぐことで、少しでも完成度の高い演奏をお届けしたいと思っています。
その点、棟方さんなら安心です。大ベテランですし、品格を保ちながら、心地よくリラックスできる雰囲気を醸してくれるに違いありません。もちろん棟方さんと私のトークタイムもあります。普段、自分の口からは話しにくいことや、隠れた一面などを、棟方さんが巧みに引き出してくれることでしょう。
舞台の照明やセットを担当してくれる紀平さんからも、「そろそろ内容を詰めましょう」と、やんわりと催促が・・・
演奏曲はだいたい決めてあるのですが、まだフィックスすることができません。やれやれ・・・
ステージの装飾は、やや宇宙的とのこと。こちらも楽しみが膨らみます。
10月5日のリサイタルに、どうぞご期待下さい。