新境地に希望はあるのか

明日はいよいよ名古屋での座長公演。午前中から仕込みがあるため、ひと足早く単身名古屋へとやって来ました。

ホテルで出迎えてくれたのは名古屋名物「ういろう」。実はあまり好きではないので見るだけですが、名古屋に来たという実感を湧かせてくれました。

明日の公演は、私にとってだけでなく、エレクトーンにとっても、ある意味歴史的な出来事です。

エレクトーンのコンサートといえば、製造元のヤマハや、販売する特約店が開催するというのが常で、お客様も音楽教室の生徒さんやエレクトーンファンといった、ごく限られた層で埋まっていました。

ヤマハや特約店以外がエレクトーンコンサートを企画するのは極めて稀です。仮にエレクトーンが登場するコンサートがあったとしても、伴奏役だったり、バンドメンバーの一員というケースがほとんど。

やっと、エレクトーンのソロやデュオのコンサートが、少しずつ企画されるようになって来たところですが、規模の大きなものはとても少ないのが現状です。

今回の名古屋公演スタッフに、これまでエレクトーンに携わって来た人はひとりもいません。企画制作も含め、だれひとりエレクトーンに対して格別の思い入れのある人はいないのです。

それが意味するのは、エレクトーンのコンサートが、ピアノやヴァイオリンなどに対して、内容的にも集客力の点でも引けを取らないと認めてもらった証しです。

更に、今回は6人の出演者がいますが、エレクトーンの位置づけが添えものではなく、主役であるという点も注目に値します。

素晴らしい実力を持った共演者たちが、エレクトーンの魅力を最大限引き出すために花を添えてくれるなんて、夢のようなこと。

このチャンスをステップアップの機会とするために、あらゆる知恵を注いで来ました。

エレクトーンでなければ不可能なステージ。それが明日、現実のものになります。

そんな中、私は明日のステージでの過度な自己主張を控えます。やはり大切なのは音楽としての完成度、すなわち調和です。エレクトーンばかりが目立っても、よいコンサートだとは言えません。

それぞれが絶妙に見え隠れしながら、複雑で繊細な刺繍のように、一糸乱れずひとつの音楽を築き上げていく。そんなステージを目指して準備を重ねました。

選曲はモーツァルトから美空ひばりまで全19作品。何でもありみたいに思われるかもしれませんが、どんなジャンルの作品も表現力で勝負です。そして、ちょっぴり笑いや涙もお届けします。

何度も何度も心の中でシミュレーションをしましたが、本番は何があるかわかりません。それを思うと何千回ものステージを踏んだ私でも恐ろしいです。

新境地に希望はあるのでしょうか。あるいは現実は理想と程遠く、明日の今頃は落胆しているのでしょうか。リサイタル前夜もこんな心境ですが、今回は共演者が多い分、よりドキドキ感が強烈です。

もうひとつ、新境地。
明日、私の友人が晴れて自分の店を出します。たった12席の小さな空間を、自分の全世界にしようとしている男。根っからのワイン狂で、その血は確実に葡萄と酸化防止剤でできているはず。

料理はすべて300円から1,000円以下、ランチも700円程度と聞いています。オープン当日に駆け付けられないのが残念ですが、互いに挑む新境地で、新しい希望を見出せたらと思います。

セバス:江東区森下1-14-7(森下駅A-5出口徒歩1分)