午前中は肌寒く、冷たい雨が降りそうなほどでしたが、天気はなんとか持ちこたえたばかりか、午後には太陽が照りはじめ、夕刻には見事なサンセットとなりました。
この夕陽に向かい、それまでビーチで戯れていた人々はにわかに無口になり、日が沈むのを静かに見届けています。夕陽を眺める人の表情は誰もが穏やか。毎日、何千万、何億という人から、こんなうっとりとした顔で見つめられる太陽は、まさに史上最高のスーパースターです。
この美しく輝く星を眺めていると、人の心はみな特別な感情で満たされます。人生を振り返る人、傍らにいる大切な人の存在を噛みしめる人、過去の過ちに思いを馳せる人、希望に燃える人。私はささやかながら今日一日を思い返し、この先の人生への通過点として胸に深く刻みました。
今日は早めのランチを母と共にし、そのまま数時間を過ごしました。店は初日にも訪れた「Hau Tree Lanai 」。軽食のつもりながらも予約してあったので、幸せを呼ぶと言われてる樹の真下にある、ビーチに面した席が用意されました。
ランチタイムにはバーガーやサラダなど、ライトミールを中心としたメニューです。母はココナッツ風味のシーフードカレーを、私はこの店の名物として評判のエッグベネディクトを注文しました。
時折、鳩がちょっかいを出しに来るテーブルで食事をしていると、会話は普段あまり話題にしない方向へ流れていきました。私の人生が本当に充実しているのか、かなり無理をしながら仕事をしているようだが健康面は本当に大丈夫なのか。母はポーカーフェイスの私が心底心配でならないのです。
私は本音で答えました。今の人生がこの上なく充実していることや、健康面に不安はあるものの、可能な限り健康に留意した生活を心掛けていることなど。そして、どんなに疲れきっても、ステージが待っている限り、とめどなく意欲とパワーが湧いてくること。
私の価値観や実生活は、芸術家らしく生きるためにチューニングされてしまったので、もはや一般的な感覚とは大きくかけ離れています。それもまた母を不安にさせる要因なのだと思いますが、私の人生に悔いはないことをきっぱりと伝えると、少しは納得してくれたようでした。
東京に戻ってからでも会うチャンスなどいくらだって作れそうなものですが、いつでも会えると思っていると、是が非でも時間を持とうとはなかなかならないもの。スケジュールに追われる生活に戻れば、腰を据えて話す機会が持てるのは一年後かもしれませんし、やもすればもう二度とないかもしれません。
ビーチで泳いでくると言って席を立ち、私はひとりで海へと飛び込みました。リーフの向こうまで泳ぎ、澄んだ海水の中を覗き込むと、小さな魚が群れをなしており、太陽の光を反射して、まるでクリスタルのように輝いていました。
ディナーの約束に間に合うよう身支度を整え、待ち合わせのためにロビーに降りると、ちょうどサンセット。今一度砂浜に出て、暮れゆく海を眺める人々の背中を追いながら、かけがえのない思い出の半日を振りかえったのでした。
今夜のディナーはイリカイホテルの最上階にあるリストランテ「Sarento’s Top of the “I”」へ。
ロビーから専用の展望エレベータで一気に最上階へ。ワイキキビーチとは違また一味違うヨットハーバーを見下ろす眺めはロマンチックです。
エレベータを降りると、レセプショニストが出迎えてくれます。店内は非常に窓の多い構造になっており、各テーブルやバーカウンターからは見事な景色が広がります。
今日はヒルトンハワイアンビレッジで打ち上げ花火のある夜なので、それを借景にできるテーブルをリクエストしてありました。テーブルに着くと、ハワイアンネイティブらしき青年たちが、笑顔たっぷりに恭しくサービスに当たります。
照明がかなり抑えられているので、暗いのが苦手な人はメニューが見づらいかもしれませんが、私はプラネタリウムで鍛えられたので大丈夫です。照明控えめな分だけ夜景がくっきり見え、まるで空中に浮かんでいるような気分でした。
料理は前菜、サラダ、メインコース、パスタというカテゴリー分け。今回は前菜にベーコンを巻いたモッツァレーラチーズのグリル、パスタにロブスターのラビオリという2皿にしました。
とにかく一皿の量が半端じゃありません。それは覚悟して2皿にしたのですが、私がチョイスした2皿は上品なポーション。ニューヨークステーキを注文した人がいたのですが、それはかなりの迫力でした。
デザートのメニューは特に用意がなく、グッドルッキングガイが口頭で説明します。私はオーソドックスにティラミスを。チョコレートボルケーノというのを注文した人がいましたが、それはチョコレートフォンダンで、サイズ的にはよく見るものに比べ倍以上ありました。
いい頃合いに花火が上がりました。ちょうど目と同じ高さくらいに輪が咲きます。暗い海を背景にした花火は、いつもより鮮やかに見えました。きっと思い出もいつまでも鮮やかであり続けることでしょう。