海原の小舟

今日もまた長い一日でした。予定していた交通手段がことごとく遅延し、スケジュールが大きく乱れ、あせったり、待ちくたびれたり。でも、昨日の選考会を終えた後で、少し気持ちに余裕があったことに救われました。

昨日の選考会の後、夜の便で岡山に向かいました。東京の雪が影響して、昨晩の飛行機にも遅れが生じましたが、今日に備えての移動だけでしたので問題なし。

今朝もスケジュール通りのつもりが、急に変わった天気に振り回されることになりました。

岡山から四国へ移動する時間まであと1時間足らず。穏やかな天気でしたので、珈琲でも飲んで待つことに。ところが、ちょっと目を離した後に外を見ると、激しい雪が降り始めていました。

これはまずいと思い、予定を繰り上げて直ちに出発。予定よりも早い電車に乗り込んだまではいいのですが、途中駅で運転見合わせになってしまいました。

私は運に恵まれていて、これだけ頻繁に旅をしていても、滅多に遅延や運休に遭遇することはありません。今日も大切な約束があるというのに、こんなところで立ち往生とは。いっそ、瀬戸内海を泳いで渡りたい気分でした。

運転見合わせの理由は強風。瀬戸大橋の風速計が規定値を超えたためだとの説明がありました。止まっている列車の周囲はそれほどでもありませんが、海上では瞬間的な突風が吹いてるのかもしれません。

風速計は突風をもとらえますが、風がこれきり弱まったということを感知することはできませんので、運転再開の判断は人がおこなうのでしょう。

そろそろ再開とのアナウンスがあると、また少しして規定値を超えたとの放送。その繰り返しです。寒い車内で待つこと70分、列車はやっと瀬戸大橋に向けて動き出しました。

ところが、橋を目前に列車自動停車装置が働き、急ブレーキが掛かったかと思えば、それきりまた止まってしまいました。急に静まり返った車内には、容赦なく吹き付ける強風の音だけが響いています。

停止している列車は、風が打ち付ける度に大きく傾げ、よもや横転するのではないかと不安になるほどでした。きっと、今現在の風速計は規定値を大きく上回っているのではないかと思いました。

赤信号が青に変わりましたが、なかなか動かない列車。運転手は指令室からの指示を待っているようです。ところが、問い合わせてもなかなか返答がない様子。一瞬、ただならぬ雰囲気が漂いました。

しばらくしてようやく連絡が取れ、運転手は「行っていいんですね」と何度も確認をしていました。私も最前席に座りながら、かたずをのんでいました。まるで決死隊の出撃です。

車窓から見える海は激しく白波が立ち、岸壁に打ち寄せる波は灯台を呑み込む高さです。いつもなら無数の船が往来する瀬戸内海に小舟一艘見当たりません。

徐行する列車はいつになく激しく横揺れし、このまま海まで真っ逆さまなんてことも無きにしも非ずと不安が募ります。

そんな折、頭に浮かんだ音楽はラヴェル作曲の「海原の小舟」。見渡す限りの海原に漂う小舟が、海のあらゆる表情にさらされるイメージを持つ曲です。自然の中において人間がいかに小さいかを、私に教えてくれた音楽でもあります。

壮大な海原とはかけ離れていますが、「橋上の列車」の中でさえも、自然への畏怖を痛感しました。ああ恐かった。それに結局80分も無駄になりましたけれど、また人生を考える貴重な時間を得たようにも思います。

香川でのスーパーレッスンを終え、高松からの最終便で東京へ戻りました。「羽田空港滑走路閉鎖」とのアナウンスがあり、「また高松に引き返しか」と諦めましたが、ほどなく再開され、遅れはしたものの帰京することができました。

橋の上ではヒヤヒヤ、ハラハラ。レッスンではマキシマム。でも、イライラはひとつもない一日でした。