普段、目の前で演奏されるものを除いて、滅多に音楽を聞かない私ですが、今日は参考音源やらDVDやらを聞きまくりました。自分が弾かずに聞くという点ではスーパーレッスンの時も同じですが、レッスンと違い黙ってじっと聞くのはかなりの忍耐力がいります。
そして打ち合わせ、打ち合わせ、また打ち合わせ。演奏家は楽器に向かっている時間が大半だと思われがちですが、実際は演奏や稽古よりもミーティングや事前準備に時間を取られます。
まずは4月13日、17日に予定されている、ツァオレイさんと米津真浩さんとの演奏会に向けた選曲会議。米津さんの演奏については過去の経験から想像がつきますが、ツァオレイさんとは共演したことがないので、まずは彼自身を研究しなかれば、彼の魅力を十分に引き出すことができません。
ツァオレイさんとは電話で話しながら、彼自身の演奏が収録された参考音源を次々に聞いていきます。中国の伝統曲あり、クラシックの名曲あり、ジャズや映画音楽など、幅広いレパートリーを持っていることがわかります。
中でも私がひときわ興味を持ったのは、現代の中国人作曲家が作った二胡のコンチェルト。さほど中国的過ぎず、それでいて曲の構成がシンプルで、初めて聞く人にも共感してもらえそうな曲です。
しかも、二胡の演奏が実に見事。参考音源を聞いているだけでも、その鋭い弓さばきに皮膚を切り裂かれそうでしたし、打ち震える音色には深い悲しみを呼び起こされました。
また、若い演奏家なので、どちらかというと勢いが先行しているだろうと想像していましたが、しっかりと抑制のきいたバッハなどは、実に安定していて、甘美ですらありました。
それらの演奏を聞いて、私の頭にはツァオレイさんにやらせたいことがたくさん浮かんできました。早速、日本では入手不可能な楽譜の手配をツァオレイさんに頼み、私はツァオレイさんと米津さんの個性を生かせる作品を選び、編曲作業に取り掛かります。
渋谷も小樽も、たった一夜限りのささやかな演奏会ですが、三人の心にいつまでも残るステージにしたいと思います。そうであることが、お越しになったお客様の心にも深く刻み込まれ、喜んで下さるでしょうから。
次は私自身の上海公演について。4月3日に上海音楽庁で予定しているソロ公演ですが、もうすでにプログラムは決まっています。中国での公演には、なにかと煩雑な手続きがあり、事前にプログラムの審査も必要なのです。
今吟味しているのはステージの演出です。私は音楽をじっくりお聞きいただきたいので、演出はできるだけシンプルにしたいのですが、中国では華やかな舞台が好まれるそうです。
何しろ、ステージには終始私だけ。しかも、楽器が固定されているので動きが少ない。更に、「見た目の悪い楽器」だけでは、お客が飽きてしまう。そう言われてしまいました。
では、オペラのように舞台装置でも作るのか。あるいは空中を舞うゴンドラに乗って演奏するのか。そんな冗談を飛ばしてみるものの、それには予算が足りないと真顔で返されます。
そこで、2010年のリサイタルDVDを見てもらいました。背景に大きな天体が描かれた幕。上空と舞台脇に球体。そして円形にカットされた大小3つの敷物。
それだけの舞台セットに、音楽とシンクロして変化する照明が加わるだけで、十分にドラマチックな空間になる様子を見て、「この人を連れてきたらいい」と言ってもらいましたが、それにも予算の壁が・・・
まあ、予算はなんとかクリアするにしても、中国で仕事をするに当たって気を付けなければならないのは、事前に現地備品や現地スタッフについて確認に確認を重ねても、当日その通りではないことの方が多いという現実です。
エンジニアだけ連れて行っても、機材が揃わなければ無駄足になります。もし日本のエンジニアを連れていくなら、機材とスタッフも同行させなければなりませんが、それには膨大な予算が必要になります。
現実的に考えるなら、現地で可能な範囲内のプランを練ることですが、演奏曲については事前に参考演奏を収録して照明デザイナーに聞いてもらわなければなりませんし、曲それぞれのイメージを文書化し、更に中国語に翻訳して送らなければなりません。これだけでも、えらい作業です。
それはそうと、リサイタルのDVDを見ながら思ったことがあります。演奏はあまり聞きたくないので、考えるべきことに集中をしていたのですが、石田匡志さんに作曲してもらった「幻想行進曲 幕末」になったら、急に耳が音楽に向きました。
なんと素晴らしい作品なのだろう。演奏はひどいのですが、作品そのものが醸す気品と情念のせめぎ合いに、しばらく釘付けになってしまいました。
そういえば、今年になってまだ「幕末」を弾いていません。弾かないと忘れてしまいそう、というか、難曲ですのでもう弾けなくなっているかもしれません。
それはまずいです。先週の「Remembrance」もまたリベンジ懸けてどこかで弾きたいと思いますが、放っておいたらすぐに弾けなくなりそうです。
こうした新作は、いわゆる一般ウケするタイプの曲ではありません。でも、渾身の作品には、じっくりと腰を据えて読み取る価値のあるものが染み込んでいて、その「真の味」に触れた時のエクスタシーは、一度味わうと病みつきになります。
さあ、早く帰って幕末を弾こう。そう思ったら、帰り道が急に楽しくなりました。作品の真価を伝えられる演奏になるよう更に磨きをかけて、またいつか皆様にお届けしたいと思います。