3月24日。44歳の誕生日を迎えることができました。こんなにも孤独を好む私が、皆さまと共にあることを歓び、皆さまに支えられていることに深く感謝しながら、今を噛みしめて生きていることに、人生の妙を感じています。
今日だけは刺激的なことから遠ざかり、静かに過ごしています。午前中は母とお茶を飲みながら、とりとめのない会話を。午後からはひとりで泳ぎ込んで、ぼんやりと遠目に、いつになく暗い東京の夜景と自分の人生を眺めています。
なんとなく「生きる」ということに敏感になっているこの二週間、心の平静はいつ訪れるのだろうと不安が尽きません。
私の来た道を振り返れば、私にもかつて絶望の豪雨が降りそそぎ、命の灯さえ消えかかった時があって、そのことを思えば今の私に苦難などないに等しいというのに、常に心が騒ぐのはなぜでしょう。
それは、今の苦しみが私ひとりのものでなく、日本人すべてにのしかかるものだからなのかもしれません。
そんな中、わずかな心のふれあいが、なんとも心地よく感じられますし、見知らぬ人の表情や、すれ違いざまの仕草にも、優しさや思いやりの香りがします。
今日もまた、例年誕生日を過ごしているホテルに、ひとりチェックインしました。こんな折ですからキャンセルすることも考えましたが、ホテルもガラガラで厳しい状態が続いていると聞いていましたので、ささやかな援護射撃のつもりで決行しました。
でも、ホテルの人は冷たかった。私が期待しすぎたのかもしれません。人影もなく、空調も照明も控えられたロビーで、通り一遍の手続きで迎えられました。
こんな時に、必要もないのに泊まりに来る物好きには、いつも以上の歓待を表現してくれると思った私が甘かったのでしょうか。ただ「本当にようこそお越し下さいました」という素振りだけでも見せて欲しかったのですけれど、カラ振りでした。
誕生日の差し入れも、ずいぶんとグレードダウン。これも自粛ムードの影響でしょうか。私の大好きなホテルですから、どうかこの厳しい状況を乗り越えられるようにと応援するつもりでいましたが、どうやらお呼びでないようです。
私は、昔から、人が北を向いていれば南を見ている、あまのじゃくでした。でも、そうした視点が時としてとても役立つことがあります。人々が熱い視線を注いでいるところはそちらにお任せして、手薄なところを手掛けるのがYK流。
今、ホテルだのレストランだの、そんなの放っておけと思う方もいるかもしれませんが、そこにも確かに人の暮らしが懸かっているのですから、見過ごすわけにはいきません。
これらが潰れてしまったら、やがて東北の人が再起して野菜などを生産しても、買ってくれるところが少なくなってしまいますしね。
東北といえば、今朝、白鳥の北帰行が見られたと、岩手からメールをもらいました。青空に白鳥たちが声を掛け合いながら飛び立つ様は、とても美しいのだそうです。いつかこの目で見てみたいと思いました。そんな光景を思い浮かべながら、今夜は静かに過ごします。