turning point

3/11、東京文化会館でのリサイタルが終わりました。国内外から駆け付けてくださった方々、来れずともエールを送り続けてくれた方々、すべての期待をずっしり背負って立った舞台からは、はるか未来が見渡せそうな素晴らしい眺めでした。関わってくださったすべての方々に、心より感謝いたします。

リサイタルの一日はあっという間でした。直前まで稽古最優先で取り組んでいたので、当日が来たという実感も薄く、ただひたすら音楽のことだけに全神経を集中していました。今回のプログラムは集中力と体力が勝負。わずかな注意散漫が大事故に直結しますし、体力配分を間違えれば終演まで持ちません。高い完成度を目指して努力の限りを尽くしてきたこともあり、息ができなくなりそうなほどの緊張の中での入館でした。

リハーサルでは、消耗しないようにセーブしたつもりですが、やはりステージで弾くとなると、それなりに熱がこもっていきます。一通り弾き終えて、本番もこのクオリティで弾ければ満足だと思うことができましたが、疲労感も予想以上。それから、傷になりそうなところをピックアップして最終チェック。気が付けば、あと10分で開場とのこと。慌てて鍵盤を丁寧に拭いて楽屋に戻りました。

楽屋でも、リハーサル時に注意を削ぐ原因となった事象について構えを深めました。急激な照明の変化はもちろん、常に自分の出す音に集中している身としては、わずかな音質の変化にも、集中力を大きく左右されます。リハーサルで本番同様の体験ができればだいぶ気が楽ですが、昼公演の場合、どうしても仕込みが間にあいませんので、リハーサルと仕込みが別々に進行するため、どのような演出なのかを私が知るのは本番が最初。また、今回のように音響エンジニアが付く場合は、客席で最適な状態になるよう常に微調整をしながら進行します。今回も照明音響ともに信頼の置けるスタッフが付いてくれているので、彼らの判断はいつも正しく効果的なのですが、問題は私の対応力が伴っていないことです。

今回のプログラムは、あえてリスクを度外視しました。エンターテインメント性は薄く、真正面から音楽そのものに体当たりするものです。とはいえ、弾きたいものを並べたのではなく、二十年以上クラシック一筋でエレクトーンを演奏して来た者として、人生のターニングポイントとなるリサイタルで何に挑むべきかを考えた結果、こうなりました。歴代作曲家が私を囲み、本気でクラシック音楽を愛し、エレクトーンで管弦楽作品を演奏するというのなら、このくらいのことはやってみろと与えらえた課題のようなもの。特に後半のラフマニノフは、世界最高のピアニストが4手で掛かるものを、2手1脚で弾こうというのですから、無謀極まりないわけです。それも、どう?ラフマニノフっぽいでしょ?と雰囲気だけを繕うのではなく、ザ・ラフマニノフ!という域を目指しました。

編曲は頭脳戦でした。これ以上編み込むと音楽表現上崩壊するというぎりぎりのところまで総譜に忠実であることを意識し、9割以上の部分は総譜と同等の楽器配列による演奏が実現しました。稽古では、複雑な和音がそろそろ(とっくにかも)固くなり始めた頭になかなか入らず、いつまでたっても速度が上がらないことに悩み続けました。また、ラフマニノフ自身が優れたピアニストでしたので、黒鍵の使用頻度が高く、プラスチック鍵盤のエレクトーンで演奏するには、汗による滑落を防ぐ工夫もしておかなければなりません。つまり、燃えれば燃えるほど、事故に直結します。そのため、発汗につながる水分は前日から控えて、ほぼ脱水症状でステージに上がることになります。

そうして向かったステージ。温かい中に期待が込められた上品な拍手で迎えられると、二年前の感激がよみがえってきました。第1部はベートーヴェンからスタート。直前まで震えるほど緊張して、逃げ出したいほどだったのに、演奏が始まるとそれまで吹いていた風がピタッと止んだかのような安定した気分に。シュトラウス、ラヴェル、ガーシュウィンと進む中、次第に私自身はその場にいなくなり、音楽とお客様だけがあるかのようになりました。実際、自分がやったミスのこと以外、自分についてはほとんど記憶がないのに、音楽だけは心に焼き付いています。

第1部を終え、私は楽屋に戻り着替えたはずですが、それも記憶にありません。ラフマニノフの演奏が始まると、第1部とはまた違う感覚の自分がいました。とても神経が昂っていて、細かいことが非常に気になったのです。わずかな空調のノイズも、その時の私にはジェットエンジンのように邪魔でした。今回は素晴らしいフランス製のスピーカーを使わせてもらい、たいへんクオリティの高い音をお届けできたにもかかわらず、リハーサル時とわずかに異なる響き、たとえば、ある音域が強調されて特定の楽器音が私の意図とは違うバランスで聞こえたり、舞台上にある他のものに共振して発生する倍音が聞こえたりする度に、自分がプログラムチェンジを間違えたのかと感じ、反射神経で不要なアクションを起こしてしまうケースが連続しました。こうした時にどう対処するかは、今後の重要な課題ですが、今回は動揺しっぱなしで生きた心地のしない演奏でした。

演奏が終わって礼をしながら、かみしめていたのは挫折感。感謝の礼というより、心からのお詫びでした。ああ、私のチャレンジは無残なものだった。そのショックから今も立ち直れてはいません。でも、お客様は私が挑戦したことそのものには深く共感してくださり、元気をもらった、一心に弾く姿に胸が熱くなったという言葉をたくさんいただきました。でも、私は演奏家ですから、音楽そのものの価値をお伝えしなければなりません。よく頑張ったねで満足するわけにはいかないのです。でも、このような結果はある程度覚悟していました。過去の経験上、初披露で満足のいく演奏ができるなどありえません。何度もステージで経験を積んで、その度に感じて考えて、10年弾き続けてやっとなんとかカタチになるくらいなものです。

私は演奏家になって23年。そして来週には50才。この先23年経てば73才です。この体力を要し、感性だけではコントロールできない楽器をその年齢まで弾き続けられるかはわかりませんが、今が折り返し地点だと思っています。そしてこのリサイタルが新しいスタート。ここからさらに演奏を磨き続け、死ぬまで進化を止めない音楽家でいたいと思っています。そういう意味では、最高のスタートを切ることができました! 今回お付き合いいただきましたお客様にはお詫びのしようもありませんが、いつの日か必ず皆さまに誇っていただけるようにいたします。どうか見捨てないで。