手紙を書かなくなった理由

私は手紙を書くことが昔から好きでした。直接の会話は、緊張してしまって伝えたいことがうまく話せないばかりでなく、余計なことを口にしてしまいそうで怖いのですが、手紙なら考えをまとめてから、一語一語落ち着いて記すことができます。

ところが、最近は手紙を書く機会が少なくなってしまいました。演奏会で特にお世話になった方への礼状、季節の便り、旅の手紙など、以前は頻繁に切手を買い求めなければすぐになくなってしまうほど書いていたと言うのに。

あらかじめ切手を貼った写真入りのはがきを常に持ち歩き、思い立ったらすぐに筆をとれるようにしていた習慣も、途絶えてしまいました。

電子メールが普及して、直筆の文書はどんどん減っていますが、その価値が低下したわけではないと思いますし、書きたい気持ちが消えたわけでもありません。また、慌しくて時間が取れないということを言い訳にしたくはありません。

書かなくなった最大の理由は十数年前の転落事故にあります。舞台から落ちた際、どうも右腕に関わるいくつかの神経を傷めたらしく、以前のようにペンを持ち続けることができなくなりました。

幸い、演奏に関しては不自由を感じませんが、筆記具を持つと、はがき一枚書き上げるだけでペンを放りたくなるほど疲労します。それが近年、顕著になってきました。

箸を持つのも同様で、いわゆる正しい持ち方はもうできません。今はややおかしな持ち方をしていますが、時折、左手に持ち替えたい衝動に駆られるのを堪えています。

それでも一昨年までは毎年二千枚の年賀状をコツコツとしたためていましたが、昨年から一気に全廃。かつては「活字のよう」と言われていた丁寧な文字も、今では「判読困難」な暗号のようになってしまい、今後ますます書くのをためらうようになるでしょう。

それと、もうひとつ指の不都合の話。

私の左中指は、小学生の時に怪我をして、一度、爪から先を失っています。幸い、再生手術が成功しているのですが、今でも指先の感覚が特異で痛みを伴うため、左手はなるべく中指を使わないようにしており、曲によっては残りの4本指だけで弾くものもあります。

その不都合を補っているのは、指関節の柔らかさです。ピアノを始めて以来、ずっと指を柔軟にする訓練を続けてきたことと、一度もボキボキと鳴らさずに、大切に扱って来たことが功を奏しています。

指関節をボキボキならすと気持ちがいいという人も多いようですが、よい子はマネをしないで下さいね。