4月24日は、エレクトーンシティ渋谷で、マスタークラスエレクトーンゼミの修了コンサートがあり、見物してきました。
これは今日の写真ではありません。私自身もしばしばここで演奏しています。ソロあり、アンサンブルあり、いろいろな演奏家とご一緒してきたなじみ深いステージです。
舞台が低く客席が近いという点では、ライブハウスのような趣きもあり、演奏者を身近に感じながら鑑賞できるのが魅力です。そして、エレクトーンに精通したスタッフと、エレクトーンを最大限に生かせる機材が揃った、非常に恵まれた環境です。
ところが、この空間は本当に弾きにくいのです。ここでマイペースを貫いて弾けたら世界中どこに行っても怖くないとか、「ここには魔物が住んでいる」とウワサされているほど、エレクトーン演奏家たちの間では「番狂わせ」な会場として知られています。
それでも、私が出演する演奏会は、お客様が醸し出す和やかで温かい雰囲気に助けられ、さほど怖れを感じずに弾くことができますが、今日は弾き手にとって大変厳しい雰囲気だったに違いありません。
まあ、修了コンサートは一年の成果のお披露目ですから、純粋に音楽を楽しむためのコンサートとは趣旨が違います。
客席に集まっているのは、マスタークラスの関係者や諸先生の他、ヤマハのベテラン講師さんや、将来マスターへの入会を目指す子どもたちでしょうか。まったくの部外者は、私がお誘いしたご婦人と私くらいなものです。
昨年もこの修了コンサートを見物しましたが、その時は照明演出もなく、まさに淡々と進められていました。今年は照明や音響にも工夫が感じられ、コンサートという観点からは昨年よりかなりグレードアップしています。
でも、やはり堅苦しい雰囲気は払しょくできません。堅いというより辛気臭いという感じです。ここで弾くのは、私ならまっぴらゴメンですが、子どもたちに選択肢はありません。
お客様にその気はなくても、客席全体が放つ視線は「品定め」そのもの。応援していないわけではありませんが、「お手並み拝見」という鋭い矢が舞台に突き刺さるのが目に見えるようです。
それが彼らの演奏にどう影響したかはわかりませんが、中学生、高校生らしい若い息吹を臆することなく解き放った演奏はひとつもありませんでした。
こぢんまりとそつなくまとめたか、あるいは殻を破ろうとして玉砕したかのどちらか。
ここで本来の能力を発揮できるかどうかも実力のうちという見方もありますが、私は「こんなはずでなかろうに」と、歯がゆい思いで見ていました。
そして、彼らが人前で演奏するという醍醐味を、ここでの体験で判断してしまわないかが心配でした。本当は、もっと気持ちがいいものです。
私は今日の出演者たちが将来何を目指してるのかは知りません。でも、私の興味はただひとつ。将来、世界の舞台でエレクトーンを弾く人材はここにいるかということ。
探しているのは、年間数万枚のチケットを売り上げられる実力と魅力があり、芸術性とスター性の両方を兼ね備えている人材です。
今日感じたのは、どの子もそれなりに成長していますが、突出している点より、共通点が目立つということ。要するにカリキュラムをしっかりこなしている優等生ではあっても、自分の道を切り拓く者ではないということです。
だから学んではいても、感じてはいないという演奏になるのだと思います。
彼らに素質がないわけではありません。でも、どんなに立派な方の指導を仰いでも、結局は自分自身の感性と意欲が未来を決めるのですから、自律を心掛けて、いつか本当に胸を打つ演奏を聞かせてほしいものです。
エレクトーンの世界から、天才中の天才が輩出されるその時こそ、エレクトーン再生の元年ではないでしょうか。私はその日が必ず来ると信じています。