昨日はエレクトーンのレジストレーションはシンプルな方がいいという話をしました。ただし、これは「私にとっては」のことであり、すべての人に勧めるものではなく、曲のジャンルやスタイルによっては、異なるアプローチの方が有効かもしれません。
私の場合はクラシック音楽がメインなので、アコースティックな雰囲気を大切にしています。
このジャンルの音楽は、ダイナミクスレンジ(音の強弱の幅)が非常に広く、時には耳を澄まして聞くような部分もありますが、ロックコンサートのように、体の芯が音で震えるような大音量になることは決してありません。
あくまで、まるで目の前で生楽器が演奏しているような、心地よくナチュラルな音が目標です。
そのひとつがオーケストラのような雰囲気。いろいろな楽器が複雑に絡みあうフルオーケストラの音楽をたったひとりで表現するのは、現代のエレクトーンならではです。
さて、オーケストラのための曲をひとりで演奏する際、いかにリアルであるかを大切にしていると思われるかもしれませんが、実はまったく違うアプローチをしています。
スコアを分析したり解釈する際、私は「なぜここはオーボエなのか」「なぜヴァイオリンはメゾフォルテでチェロはフォルテなのか」など、作曲者がスコアに記したことの意味を深く考えます。
もし私がオーボエ奏者なら、「なぜここはオーボエなのか」とは考えないかもしれませんが、エレクトーンで弾くとなると、その意味を知りたくなるのです。
エレクトーンでもオーボエの音は出ますが、シビアに言えばそれはせいぜい「オーボエみたいな音」であって、やはり真のオーボエとは程遠い音です。
それを本当のオーボエみたいに聞かせるには、作曲者がどんなニュアンスを望んだのかを理解し、そのニュアンスを再現する必要があります。
作曲者が「自身が思い描いたニュアンスの表現にはその楽器が最もふさわしい」と判断したという点が重要で、極端に言えば、どんな音色であれ、そのニュアンスを再現出来さえすれば、しっくりと聞こえて来ます。
逆に、いくらオーボエそっくりの美しい音が聞こえても、作曲者が意図したニュアンスを含んでいなければ、心の深くまでは届かないでしょう。
このように、音楽には耳だけでは感じとれない含みがあり、その部分こそがミラクルなのです。
エレクトーンのクラシックなんて聞くに堪えないと言う人もいますが、そういう人こそ、音しか聞いていないのかもしれませんね。
作品の隅々までを探究し、込められた精神を聞き手の前に再現する。それが演奏家や指揮者の大切な仕事です。作品はその度に新しく生まれ変わり、新たな価値を取りこんでいきます。
さあ、エレクトーンにおいて、このニュアンスを再現するものは、指先でのコントロール、すなわちタッチに他なりません。世界にも他に類を見ない繊細な鍵盤は、エレクトーンの誇りです。
このタッチを完ぺきにコントロールすることが、エレクトーンを極める上で最も重要だと私は考えています。その秘訣はまた今度・・・