Carmen

上海から戻って一カ月、私の頭はカルメン一色でした。新潟市内の中学生を対象にした芸術鑑賞教室で、カルメンを上演するにあたり、エレクトーンによるオーケストラパート演奏を受け持つことになったからです。オペラに関わるには、それがどのような立場であろうと、とてつもないエネルギーが必要です。まして、大人数のオーケストラを一手に引き受けるとなれば、相当の覚悟を持って臨まなければなりません。

カルメンは、私がこれまで最も多く演奏してきた演目です。すでに自分専用の楽譜も完成しており、数日間の思い出し稽古をすれば、じゅうぶんに対応できるはずです。でも、最近の、演奏することに対する考え方の変化を受けて、あえて一から練り直すことに決めました。

熟知しているはずのフルスコアをもう一度開いてみると、不思議なことに、まるで初めて目にする楽譜のように見えました。私は決して人の演奏を参考にしませんので、メディアに収められた演奏を聴きながら楽譜を見ることはありません。ただ美しい風景を見るように総譜を眺めさえすれば、たちまち心の中に舞台となる情景が広がり、最高の歌い手が最高のオーケストラ演奏に乗せてストーリーを展開していきます。あとは、この心に響いた音楽を、現実の舞台で再現するだけです。

カルメンがかつてなく新鮮に感じられたのは、私自身の感受性が変化したからに他なりません。なにしろ、カルメンの総譜は一音たりとも変わっていないのですから。早速エレクトーンへの変換作業に掛かり、極めて細かいところまで注意を払いながら、ひとりでほぼすべての音を忠実に再現できるように仕上げました。それは単に縦の線を揃えるという意味ではなく、ほとんど聞こえないような音にまで、きちんと魂を宿らせられるような工夫です。その多くは、さほど効果を上げないこともわかっています。まるでモノクロ映画で色彩のわずかな違いにこだわるようなものですから。でも、このようなディテールへの思い入れが芸術には必要だと考えています。

その中で、改めてビゼーという作曲家の優れた手法に驚嘆しどおしでした。さりげなく配置された音すべてに重要な意味がありますし、登場人物の性格はもちろん、ストーリーの舞台に漂う香りまで音で示されているのです。それらを見抜けば見抜くほど、一音もおろそかにできないばかりか、一音たりともいじってはいけないと思うようになりました。

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そうして迎えた本番。中学生たちは、開演時間までは無邪気に騒いだりして、会場内はおおいに賑やかでしたが、いざ幕が開けば、食い入るように舞台に集中してくれていました。とてもいいメリハリ感です。ドラマチックなオペラに心動かされても、私が寝る間を惜しんで加えた工夫に気づいた人はおそらくひとりもいません。でも、そんなことはどうでもいいんです。ピットで必死に奏でた音楽は、歌い手の心にも火をつけました。そして絶妙なアンサンブルとなって聞き手の心に届きました。照明スタッフ、舞台スタッフ、音響スタッフのみなさんも、キャストと一心同体です。バックステージツアーなど行わなくても、本番の舞台を通じて、携わる者全員の想いが詰まった日々の全貌が客席に伝わっていきました。エンターテインメントと芸術の境界線はここかもしれません。

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