美しい無から始まる音楽

演奏中、私がどんな心境でいるかについては、昨年9月にも話題にしました。門下生たちにも、演奏中のこの素晴らしい気分を味わわせたいものですが、方法を伝授するのは難しいと痛感しています。

演奏中はさまざまなビジョンが脳裡をよぎっていきますが、基本的には無の境地に限りなく近い状態にあるのが望ましいと思います。

瞑想にも似たこの上なく深い落ち着きの中から、ざわざわと魂が湧きあがってくる時もあれば、ビッグバンのように一瞬にして弾けることもありますが、最初に「無」や「空」の状態がない場合は、音楽が先に進んでもぎくしゃくとしたものが残ってしまいます。

最初の一音を出す心境は、ドミノの最初のひとコマを押し出すようなもので、ひとたびコマが倒れ出したら、あとは流れに身を任せるしかありません。それを無理に立て直そうとしても、すでに音楽に傷が付いていますので、心底心地よく弾くことはもうできないのです。

演奏直前、幸運にも「美しい無」を得ることが出来たとしても、演奏が必ずよいものになるとも限りません。演奏中にも世界は動いており、閉ざされた演奏空間でも、気を散らす要素が次から次へとちょっかいを出して来ます。

その中には、プロの演奏家として当然配慮しなければならない事柄もあり、完全に音楽に集中できるケースは極めて稀です。

それでもやはり、演奏がよいものになるかどうかの決め手は最初の一音であり、そこに直結する「美しい無」に出会えるかどうかが大きな分かれ道です。

どうしたら「美しい無」に出会えるのか。まず、動揺を捨てなければなりません。緊張しても構いませんが、動揺はダメ。本番前に動揺する原因はいろいろあります。

練習不足?・・・それは論外。首を洗って出直しましょう。

練習通りに弾けるかどうか・・・一度出来たことが次に出来ない理由はありません。きっと出来ると信じて下さい。

予期せぬことが起こったら?・・・その時はその時です。

つまり、余計なことを考えるのはやめましょう。自分が演奏する作品のことに集中し、その演奏に対する責任をきちんと背負う覚悟を持って下さい。それが出来ないのなら、その作品を演奏する資格はありません。

そして、これが一番大事。先生から言われたことをすべて忘れましょう。私が言ったこともです。人から見聞きしたものに振り回されている限り、自分の音楽にはなりません。

私がレッスンで口にしていることは、稽古の過程で役立つ助言であったり、一生使えるテクニックの基礎になるもの。でも、本人が消化して血肉にならない限り、それらは余計なたわごとでしかないのです。

そのたわごとが功を奏し、本人の実力として本当に身に着いたのなら、もう言われたことなど気にする必要ありませんので、自分の感覚だけを頼りに、思い切り弾いて下さい。

そう、結局、誰も頼れない、自分の精神と技術だけで勝負するしかない。それが音楽の舞台です。

舞台までの道筋では、多くの人が支えてくれるでしょう。でも、本番では誰かのために心を込めて弾く必要などありません。ただ音楽に誠実に、音楽の化身となって弾くのです。それがもたらす結果こそが、あなたの実力です。