シンガポール市街中心の小高い丘一体を占めるフォートカニングパークは、今でこそ熱帯の森の中に遊歩道が整備された安全な憩いの場として親しまれていますが、シンガポールの歴史を無言で語る遺産でもあります。今回はこの公園内にあるホテルに滞在したこともあって、隅々まで歩きながら、森の声に耳を傾ける毎日でした。
公園の一歩外は、昼夜とも途切れることのない車の流れや、建ち並ぶ高層ビルに彩られた世界有数の都市。でも、その喧騒は巨木たちが遮ってくれるので、公園内は穏やかな静けさに包まれています。
初日は到着が深夜だったので、公園を歩くことはしませんでした。あくる日、ホテルルームの窓を開け放っていると、どこからともなくチャイコフスキーが聞こえて来るではありませんか。
それは、私にとって焼き立てのパンのにおいよりも魅力的。音の源を求めて、すぐさま部屋を飛び出しました。石の階段を上がり、木々の間を抜けると、フォートカニングセンターがあります。どうやら、チャイコフスキーはここから聞こえているようです。
この建物は1926年に英軍兵舎として建てられました。広々とした芝の前庭を持った堂々たる姿の建物ですが、現状ではあまり価値のある使い方はされていないように見えます。
恐る恐る中に入ってみても、人の姿は見当たりません。思い切って上の階に行ってみると、若いダンサーたちが熱心に稽古をしている部屋がありました。
休憩中のダンサーに聞くと、ここはシンガポールダンスシアターの稽古場。12月13日から16日まで、シンガポール随一の劇場であるエスプラナードシアターで眠れる森の美女を上演予定で、最終段階の詰めに入っているそうです。
熱帯の森、かつての兵舎、異国のダンサーたち。私が隅々まで知っているもののひとつであるチャイコフスキーの音楽が私に教えてくれたことは、たとえ世界の果てで何ひとつ知るもののないところに居ても、音楽さえあれば何も恐れることはないという心強さでした。
稽古の邪魔にならないよう、しばし片隅で鑑賞し、ふたたび森の中へ。本番の舞台を見られないのがなんとも残念ですが、成功を祈りましょう。
この丘は、第2次大戦中には軍事要塞だったところ。当時の施設が今でも残っており、指令本部は有料で公開されています。上の写真はフォートゲート。説明書きによれば、当時は海からの侵略を防ぐため、石壁が張り巡らされていたそうです。大砲もいくつか残っています。
その一方で、シンガポールの生みの親であるラッフルズ卿ゆかりの地でもあり、ラッフルズ卿の植物園の一部が今でもスパイスガーデンとして残されています。
料理の皿以外から、これほどまでに濃厚なバジルのにおいを感じるなんて、なんだか不思議な体験です。
また、公園内にはアートオブジェが散在しており、オープンエア美術館の趣きも楽しめます。ピクニック広場やあちこちの東屋で、屋台で買ったローカルフードを味わえば、旅の気分が一層高まるでしょう。
歩き疲れたら、ホテルに戻ってティータイム。オープンエアのテラスでTWGの紅茶を。
夜の公園。治安のいい日本でさえ夜の公園はなにかと不安ですが、ここフォートカニングの場合、何度か夜の散歩をしてみた限りでは、妙な人を見かけることもなく、とても安全でした。
14世紀にはマレーの王族が住んでいたと言われているこの丘。マレー人には禁断の丘と呼ばれていたそうで、許可なく丘に立ちいることはできなかったそうです。その威厳が今なお残っているのかもしれません。
今回の滞在中は、曇りか雨ばかり。でも、最終日の朝だけはいい天気に恵まれ、夜明けを待たずして公園散策に出掛けました。次第に明るくなると、鳥たちの声が賑やかになっていきます。いかにも南国らしい声を聞いていると、ジャングルにいるかのよう。
木々の間からわずかに見える高層ビル。その向こうに神々しい日の出が見えました。
日が当たると、草が黄金色に輝きます。その時、わずかな風が吹いて、草がカサカサと軽やかに歌い出しました。私は微動だにせず立ちすくみ、すべての音に耳を傾けます。自然が奏でるさまざまな音。それは、新鮮でおいしい水を飲んだ時のように、体に染み渡ります。
対してチャイコフスキーの音楽は、芳醇なワインのよう。美味しい水は自然界にも存在しますが、傑作ワインには情熱や忍耐、芸術的感性などが必要で、人間にしか作れません。
こうしてまた、私が音楽を介して自分に問いかけていたものの答えがひとつ見つかりました。
朝日を浴びるフォートカニングセンターに、まだダンサーの姿はありません。でも、私の胸にはチャイコフスキーが鳴り響き、汗を散らして踊る若者の姿が浮かびます。
南国には芸術がない。そう思っていたのは間違いでした。場所がどこであろうとも、芸術はその人の中にこそあるのですから。