第3回周南市第九演奏会が終わりました。
エレクトーンでベートーヴェンを弾くということ。エレクトーンでシンフォニーを弾くということ。大ホールでエレクトーンを弾くということ。そして、エレクトーンで聞き手と音楽を共有するということ。そのすべてに対して感慨を新たにする経験でした。
舞台で高らかに歌う合唱団。それに呼応する客席。それを舞台袖で見守る裏方。中でも、主宰の門司先生の姿がひときわ印象的でした。本番を迎えるまでには、裏方はてんやわんやの日々。気分よくすんなりとは程遠い状況も数知れずあったでしょうけれど、小さな体を涙で震わせながら一音一音を噛み締める様子を目の当たりにして、誰もが温かい気持ちで満たされたに違いありません。
私自身の演奏に関しては、無傷を目標に準備を進めてきて、実際、直前1週間は99.99%以上の精度にまで仕上っていました。でも、いざ本番となれば、環境から受ける影響、その影響を排除しようとする自分の精神のブレに負けてしまいます。わずかな雑音、鍵盤のコンディション、照明、気温や湿度も、完璧な演奏をしようとすれば看過できない要素ですが、大勢が出演する舞台で、それらを自分の都合だけに合わせるわけにはいきません。
今回与えられた環境は、かなり理想にに近いものでした。ホールの規模、響きの量と質、リハーサルに費やせる時間、スタッフの細やかな気遣い。事前準備も現場環境の整っているのに、なぜ私は不完全なのか。まったくもって自分が情けなく思えます。最終打に臨むゴルファーや、氷上でジャンプに挑むスケーターの精神性と照らし合わせ、アスリート的なコントロールを強化する必要性を強く感じました。
でも、もしひとたび満足の域を体験したら、その先はどうなってしまうのでしょう。弾くのが怖くなるかもしれませんし、さらに何かを見出すための新しい旅が始まるのかもしれません。いずれにしても、次はどうアプローチしようかと、終演直後から闘志でメラメラ燃えています。
一方で、合唱団の進歩は著しいものがありました。初心者のために、練習回数や時間を大幅に増やし、熱心かつ丁寧に導いてくれた中野幸郎先生の功績は素晴らしいです。また、姫路、加古川、宍粟、広島、そして韓国からも仲間が集い、友好のステージとなりました。私が一番最初に第九を演奏した際に指揮をした有田先生が、今回は合唱のサポートとして歌ってくれるという思いがけない再会もあり、初心を振り返ることができました。第九演奏会が決まり、初めて総譜を開いたその日から、私の第九は途切れることなく鳴り続けています。
来年は9月に加古川、11月に韓国、そして12月にはまた周南で第九があります。次の進化にご期待ください。