熊本県人吉市に行ってきました。周囲を山々に囲まれた穏やかな街には、飾り立てすぎない、ありのままの美しい日本の暮らしが満ちていて、初めて訪れたのに、ああ帰ってきたという気分になるのが不思議です。
人吉労音は九州に四つある労音のひとつ。400名以上の会員が集い、3ヶ月に一度のペースで開催される例会(演奏会)を、自分たちで運営していますが、発足から51年、例会292回目にして初めてエレクトーンを取り上げてくれました。
全国にある労音のどこもそうですが、演奏会の運営に手慣れているので、演奏者は演奏のことだけに集中させてもらえます。これはよい演奏をお届けする上でも、本当に助かります。それも、単に手際がいいだけでなく、ひとつひとつに心がこもっていて、何気ないところからも、よい演奏に向ける意欲を掻き立ててくれます。
会場に入る前に労音の事務所に立ち寄ったのですが、道路に面した開放的な雰囲気で、昔の小さな商店のような趣きがあって、居心地のいいところでした。しばらくおしゃべりをして初対面の緊張が解けたところで会場へ。今回のエレクトーンは、熊本市内の有明楽器が提供してくれました。楽器の手配に苦労することも少なくありませんので、とてもありがたかったです。
準備が整ったら、ひたすらリハーサル。ホールは大きくありませんが、場内どの席でもさほど差がなく、バランスのいい響き具合です。合間に第九のおさらいなどもして、開演1時間前までじっくり弾いたので、この会場とも一体になれた感じです。
外はあいにくの雨。雷を伴い時折激しく降っている様子。皆さん無事に集まってくれるでしょうか。開演を数分遅らせ、いよいよスタート。今回のステージは、装飾も演出もなく、いたってシンプル。つまり、何のごまかしも効かないので、演奏も振る舞いもすべてまる裸。ちょっと緊張しますが、それも腕の見せ所と覚悟を決めて出て行きます。
客席の皆さんは、とても温かい拍手で迎えてくれました。と、同時に、エレクトーンってどんなだろう?という未知への戸惑いも伝わってきます。ふつう、エレクトーンの演奏に触れるのは、 街中のデモンストレーションか、子どもたちの発表会だと思いますので、改めて演奏会として客席に着いても、これからいったい何が始まるのか、どう構えていいのかわからないというのが皆さんの本音かもしれません。でも、わかったふりをされるより、ずっといいです。
最初の曲が終わると、場内は大きな拍手で湧きました。演奏前とは明らかに違います。ああ、人吉の皆さんもエレクトーンを受け入れてくれた。私は胸がいっぱいになりました。おしゃべりをして、次の曲へ。演奏へのポジションに着くや否や、くつろいでいた場内の空気がさっと引き締まります。完璧な静寂。さすが、聞き手の方が演者の扱いに慣れているので、これならおのずとよい演奏になります。
休憩を挟んで第2部へ。当初は第1部からタキシードで通すつもりでしたが、場内に暖房を入れるとのことだったので、汗でずぶ濡れになることを想定して、第1部は少し軽い装いに。やはりタキシードに着替えると、さらに気持ちが上がります。ちょっと疲れてきたところだったので、着替えがちょうどいい景気付けにもなりました。
後半も気分は乗っていましたが、鍵盤のコンディションが気になります。エレクトーンの鍵盤はプラスチック。グリップは一応効くのですが、手が汗で湿ると滑りやすくなります。ピアノと違い、打鍵後に圧力を利用して音のニュアンスをコントロールするので、特に黒鍵からの滑落には注意が必要です。でも、意識し過ぎれば当然音楽性に影響しますので、ほどほどにしなければなりません。手に汗をかかないよう、開演前の水分摂取も控えます。
アンコールを終えてちょうど2時間。今回も気分のいい演奏ができました。いや、いい演奏をさせてもらった、そのように導いてもらったという方がふさわしいです。会場から伝わってくる音楽を愛する気持ちに大きく揺り動かされました。この温かさ、忘れません。
一夜明け、雨も上がりました。ホテルの窓からは球磨川の流れが見えます。まだ出発まで2時間あったので、ふらりと街を歩いてみました。
他にも川下りや温泉など、素朴な魅力がいっぱい。観光地的な欲張った雰囲気がまったくないところが気に入りました。また訪れたい街です。