第45回霧島国際音楽祭(4)

今回もエレクトーンは姫路から陸路で運搬して、全公演に同行してもらうプランが立てられました。姫路からの白い車なので、名付けて白鷺号。北海道から九州まで、大都会から秘境まで、どこにでも来てくれる頼もしいパートナーです。

今年の霧島国際音楽祭では、旅程に離島が含まれており、白鷺号はフェリーで徳之島を目指します。私も一緒に船に揺られたかったのですが、東京からの浅野祥さんと鹿児島空港で合流して、空路で向かうことになり、白鷺号とはしばらくお別れ。徳之島空港では白鷺号で来た太田垣さんと菊池玲那が出迎えてくれました。

徳之島は鹿児島県ですが、琉球文化の影響を色濃く残しており、雰囲気はまるで沖縄。でも、車中から街並みを眺めると、家の屋根や墓の造りが琉球とは違い、本土との共通点が散見されます。

宿はスポーツ合宿でよく利用されるリゾート。コテージタイプの客室棟とレストランや温浴施設のあるメイン棟からなる大きな施設ですが、家族経営の気取らないサービスがこの島ののんびりとした空気にマッチして、Tシャツとサンダルで過ごしたい気分にしてくれます。客室は清潔に整えられており、快適でした。

到着してすぐにランチタイム。レストランのメニューには、1000円以下で食べられるライトミールが並び、サルサうどんというのが気になりました。注文を聞きに来た兄ちゃんに、これはどんなもの?と聞くと説明に窮したので、ますます興味を惹かれ頼んでみました。それは、タコライス味の冷やし中華。面白い味覚で徳之島の時間がスタートしました。

その後は、名所をいくつか案内してもらい、徳之島に広がる自然の造形に触れ、この地の風土や印象をたっぷりと心に刻みました。都会暮らしの便利さに慣れていると、島の素朴な環境は物足りなさや不便さを感じるかもしれません。以前の私なら、数日はよくても暮らすのは無理だと考えたでしょう。でも、今はできるだけモノを減らして、土に還る準備をしながら、身軽に気楽に過ごす毎日に憧れるようになりました。

こうして徐々に島の時間軸と一体化し、演奏会の会場へ入る頃には、すっかり都会を忘れました。早く準備しなくちゃ、気がかりなところを弾いておかなくちゃ。いつもならピンと気を張っているのですが、大丈夫、どうにでもなるからと、ハワイにいるような気分に。

実際のところ、浅野祥さんとは8ヶ月ぶりの再会なので、一通りのリハーサルはしましたが、お互いリラックスして、いい感じです。

お客様は幅広い年齢の方々が揃いました。自然と手拍子が出たり、じっくり聞いてほしい曲には集中してくれたりと、いいお客様です。現行機種のエレクトーンが島に上陸する機会もほとんどないでしょうから、物珍しい楽器の音にも驚かれたのではないかと思います。

ご当地民謡コーナーでは、ワイド節を演奏しました。ステージと客席の間にちょうどよいスペースが空いていて、いつしかそこに踊りの輪ができ、おおいに盛り上がりました。私たちも本場の踊りを見るのは初めてで、夢中になって見入ってしまいました。こうして文化の交流もできて、2時間のコンサートは大成功に終わりました。

ところがひとつ困った事態に。白鷺号が乗る予定だったフェリーが台風3号の影響で欠航になったのです。奏者は空路で鹿児島に戻る予定ですが、それにも影響が出るかもしれません。次第に風雨が強まり、台風接近を実感させる天候に不安な一夜を過ごしました。

翌日、飛行機は運行され、奏者とスタッフは空路鹿児島へ。しかし、白鷺号は4日間の待機を余儀なくされました。それでは、霧島市民会館でのコンサートに間に合いません。急遽、現地の楽器店に依頼し、貸してもらえることになったので、コンサートは無事に開催できますが、全公演を共にできないのは寂しいものです。徳之島に取り残された白鷺号の分まで、最終公演を頑張らないと。

つづく