5月21日、広島県の呉でエレクトーンのソロコンサートは、港の風景を見渡す品のいい会場と、景色に溶け込む音楽、そして場の空気を彩る粋なお客様が集い、絵のような音楽会となりました。
演奏する私はといいますと、まるで大きな船で弾いている気分。目を一面の窓に向ければ日差しを反射してきらめく海と行き交う船。なんとも気持ちのいい環境です。本来はホテルのダイニングですので、椅子がどっしりと大きく、ゆとりがあったのもよかったと思います。
この日は広島サミット最終日。すぐ近くで行われていても、演奏会がその影響を受けることはありませんでした。せいぜい、警官とマスコミがたくさんいたというくらい。警官はカリフォルニアのグレープフルーツみたいに明るく弾けていて気持ちのいい人ばかりなのに、マスコミ関係者はみんな冥王星から来たのかというほど暗く凍りついた表情だったのが印象的です。
世界が注目した催しにも数々のドラマがあり、計算され尽くした強力なメッセージが放たれましたが、それは死のうめきを愛の歌に変え今日を築いた広島の人々の声を代弁しているようには聞こえませんでした。
静かな港を歩いたり、この土地で暮らす人たちと親しく接し、生活の体温を直に感じたことの方が、よほど印象に残り、日常があることのありがたさを考えさせられました。すなわち、人が行動して自ら感じなければ、受け身ばかりでは何も変わりはしないのだと思います。
6月25日は第4回復興音楽祭。呉コンサートの前日に坂町でアンサンブルのリハーサルがあり、広島のミュージシャンたちと音楽で深く接する機会を持ちました。ともに演奏する中で、私が数々の経験で得たものと当地の気質や意気込みとを交換するという一面もあったと感じています。
呉へ戻る道中、被災した地域を歩きました。鳥の声が聞こえ、爽やかな初夏の風が抜ける通りに、悲劇の残響を聴くことは難しくもありましたが、伝聞した様子と重ね、当時の現実を経験した方々の恐怖を想像してみました。
痛ましい出来事が尽きない世界の中では、小さな災害だったのかもしれませんが、直面した方にとっては、人生を揺るがす一大事だったに違いありません。事の大小ではなく、当事者の目線で受け止められる感覚を持ちたいと思う旅でした。