神田将クリスマスコンサート in 山口

12月21日と22日、二日間に渡って開催したコンサートを終え、名残惜しく山口を後にしました。明るく元気で行動派揃いの実行委員会メンバーたちと、わいわい過ごした賑わいの余韻が、ひとりの日常に戻ったとたん、胸に深く沁みています。

思い返してみると、周南での第九を終えてから、まだたった1ヶ月。その時は「これから本腰を入れてお客様に声を掛けます」とおっしゃっていたにもかかわらず、いざ現地に着くと両日満席との嬉しい知らせ。何よりの歓迎です。

山口でのコンサートは、もうかれこれ5年連続。お客様に飽きられてしまうのではと心配することもありますが、むしろお客様は増え続けています。これも実行委員会のパワーです。

さて、21日のディナーショーはセントコアが会場。山口宇部空港から直行すると、2階にある大宴会場では、着々と準備が進められてました。すでにステージにはステージアのプロフェッショナルモデルが。今回は山口芸術短期大学が楽器を提供して下さいました。

リハーサル時間がわずかですので、なにはさておき、すぐに楽器に向かいます。ボールルームは自然な響きが得られないので、なかなか思うような音にならないのですが、音響さんと試行錯誤を繰り返したり、自分自身の奏法を調整して、徐々に会場に馴染ませていきます。

一通りのチェックが終わったところで、ちょうどドアオープン。そこから演奏開始まで、約90分を寒い控室でスタンバイ。その間も無駄にせず、演奏のイメージトレーニングに勤しみます。

ディナーショーは、食事の進み具合によって演奏時間が前後するケースが多いのですが、セントコアは素晴らしい時間管理で、スケジュールぴったりに演奏がスタートできる環境を作ってくれました。

いつも通り、落ち着いてステージに向かいましたが、手を伸ばせば届くような距離に、ペルー共和国特命全権大使一行のテーブルと、山口芸短の偉い先生方のテーブルが。「今日はリラックスして楽しもう」と心に決めていたのは、一瞬で崩壊。オーディションのような緊張です。

それでも、1曲目、2曲目と調子よく演奏が進んで行きました。そこで挨拶やトークを差し挟んだのですが、それが原因でほどよい緊張のバランスが崩れてしまったようです。最近、トークのタイミングや、トーク後の座り位置の調整に、もっと留意すべきだと痛感することが増えています。

更に緊張を強いていたのが、大使ご夫妻よりリクエストを受けていたペルー音楽の演奏が控えていたことです。その曲はとても美しい小品なのですが、どこにも楽譜や資料がなく、TANEちゃんの協力で何とか間に合わせることができました。

小品とはいえ、その作品が生み出された国の人の前で演奏するのは勇気が要ります。私にとってペルーの音楽文化は未知の世界。間違った解釈や、中途半端な感性で弾いてしまっては、かえって無礼にもなりかねません。果たして受け入れてもらえるのでしょうか。

更に、プログラムを考案する際、この作品をどこに差し挟むかについて、散々悩みました。プログラムのすべての曲が互いに引き立て合い、1曲残らずどの作品にとっても最も相応しい位置を選ぶ必要があります。

じっくり考えた結果、アランフェス協奏曲の後に配置し、原曲よりもエレガントさが際立つ編曲を施すことにしてみました。それが功を成すのかは、やってみなければわかりませんでしたが、なかなか効果的だったように思います。それが終わってやっと肩の荷が下り、残りのプログラムは心底リラックスして弾けました。

それにしても、お客様の集中力の高さといったら、半端ありませんでした。私の気付かないうちに全員退席してしまったのかと思うほどの静けさの中、繊細な一音まで逃さず聞いて下さったのは、本当にうれしい限りです。

もうひとつの驚きは、セントコアのスタッフたち。ディナーショーの後は、どうしてもサービスが残っていたり、片付けなどがあったり、多少落ち着かない雰囲気になってしまいがちですが、今回は一切物音を立てず、演奏に必要な環境を守ってくれました。素晴らしいです。

こうして、時にしみじみと、時にエキサイティングに、会場がひとつになったディナーショーは無事に終わりました。その瞬間から、私は翌日のコンサートに気持ちをシフトします。

プログラムのすべてが、一瞬の気の緩みも許さない曲ばかり。全体を通じての演奏プランをきちんと組み上げておかないと、必ず途中で破たんしてしまいそうな内容です。

ピークをどこに置くか、どこでエネルギーをセーブし、どこで解放するかなど、緻密なプランを何度も何度も繰り返しイメージします。その他にも、曲目解説で用いる年号や人名を再確認したり、起こりうるハプニングへの備えをしたりと、結局眠る時間はありませんでした。

会場へは午前9時過ぎに到着。ギリギリまで弾き続けていたい気持ちですが、疲労するわけにもいきませんので、低出力で1回通すのみ、危険そうなところだけ再確認というルールを決めてあります。

リハーサルは記念すべきほどの素晴らしい出来栄え。パーフェクトだったのです。こんなことなら、収録しておけばよかったと悔やみました。でも、それでかえって本番が怖くなりました。

前夜に引き続き、コンサートにも来て下さったペルー大使一行。リハーサル時にもいらっしゃったので、お嬢様にエレクトーンを弾かせてあげました。ボタンをあれこれ押して、音の違いを楽しみながら、習い始めたばかりだというピアノの曲を楽しそうに弾いていました。

さあ、いよいよ本番。開場時間には行列が出来ていましたし、場内の活気は少々離れた控室にも伝わってきます。私の演奏の前には、簡単なセレモニー、コーラスグループの演奏、フォルクローレの演奏が用意されていますので、私の出番は開演から25分後の予定です。

でも、なかなか控室に声が掛かりません。今はどんな状況かなと、様子を見に出ると拍手が聞こえていました。フォルクローレの途中あたりかと思いきや、「神田さんどうぞ」とそのまま押し出されてしまったのです。

支度は整っていましたが、気構えは不十分でした。ああ、闘牛場でフィールドに出される牛はこんな気分なのかもと思いながらも、いつもの笑顔で楽器に向かって歩きます。礼をしながら場内を見渡すと、これまでこの会場では見たこともないほどの大入り。最高にハッピーです。

ここでボタンを掛け違えてはいけない。気持ちを落ち着かせて、リハーサル通りに弾けばいい。そうは思いながらも、やはり本番は魔物。ちょっとした注意散漫が細かい傷を誘発します。それでめげていては、最後まで弾き切れません。

旧県会議事堂内は自然光が入るので、トークの時にはお客様の表情がよく見えます。私は作品の解説をしているつもりが、いつしかお客様ひとりひとりと対話しているような気分になりました。その表情は慈愛に満ちていて、皆さん人として素晴らしい一面を向けて下さっているのが、実によくわかります。それにどれほど助けられたか知れません。

にもかかわらず、本番はリハーサルと違い、パーフェクトとは程遠いものでした。でも、これまでのどの演奏会でもつかめなかった手応えを実感することができました。準備したことの70%も発揮できなかったので、そこだけに着目すれば、まるでやり切れないのですが、そんなことよりももっと大切なものを掴みました。

来年以降、私が何を目指すべきなのか。それがよくわかりました。また、20周年記念リサイタルをしないという決断が正解なのかどうかの答えも得られました。私は華やかな催しに浮かれるよりも、より深くじっくりと音楽に向き合う時間を確保して、新しいステップへの足固めをすることこそが、20年の節目に相応しいと確信できたのです。

そしてもうひとつ。山口で応援して下さっている実行委員会メンバーの皆さんとは、今回初めてチームという意識を持つことができました。これまでは大切な支援者であり、演奏機会を与えてくれる「お客様」だったのですが、今年はチケットをお買い求め下さったお客様に、価値ある音楽をお届けするという共通目的を持ったチームになれたのです。

仲間となれば、よりよいものを求めて、本音をぶつけ合うこともできます。来年の周南市第九は12月23日に決定、そして山口市のコンサートもその前後に実現することでしょう。いよいよこれからが本格始動。ますます山口から目が離せません。

コンサートを終えて、後にする旧県会議事堂に向かって、また帰ってくると約束しました。その時は、また一回り成長して。