アトムが旅立つと、時が止まり、それまでほとんど毎日欠かさず弾き続けて来たシェヘラザードも弾かなくなりました。エレクトーンに向かう気力がなく、何日も電源を落としたまま。アトムとの日々を振り返りながら、現状やこの先について考えた結果、私はリサイタルを断念することにしました。
以前の投稿にも書きましたが、2度の延期という有り余る時間の中で、このリサイタルは私の身の丈に合わず、浅はかな欲望によって周囲を振り回しているだけなように感じるようになっていました。目的が揺らぎ、さらに四面楚歌では、結果は見えている。第一、実現を誰より夢見ていたアトムはもういないのだから。
数日経って、アトムを引き継いだマキさんに連絡を入れ胸中を伝えた時、それを力強く否定し、明るく「やりましょう」と言ってくれたことには、たいへん驚き心動かされました。「残された人たちは、アトムの独断で進められたこの催しを、私が諦めるのを待っているに違いない」。そんな被害妄想に取り憑かれていましたが、すでに周囲もアトムの思いをしっかり継いで覚悟を決めてくれていたことを知り、目が覚めたのです。
まだ少しも自信が持てないままでしたが、私がお客様をお誘いして、しっかりよい演奏をすればいいだけ。たとえチケットが売れなければ自分で買い取って穴埋めをすればいいだけのこと。あとはプロに徹するのみ。そう考えて稽古を再開しました。
今年の秋は演奏会が集中しました。延期で割り込んできた公演も多く、久しぶりにタイトなスケジュールでしたが、計画的に準備を進め、波に乗った本番の日々を送ることができました。独奏で曲目を選べる時は、アトムが好きだった曲を積極的に取り入れ、各会場でアトムへの思いを大きく解き放てたことも、不安を落ち着かせてくれたように思います。
大阪茨木でのラフマニノフ協奏曲を終えて帰京し、翌日にはリサイタル共演者とのリハーサルがスタート。疲労気味の私に対して、冴え冴えとした輝きで攻めて来るふたり。思い入れの深さを感じつつ、さすが一流は眩しいなと唸らされました。
音楽が仕上がって来るにつれ、やっと全貌が見えてきたリサイタル。やはりこれはどえらい企画だったと、今更ながら脚のすくむ思いです。一方でチケットの販売は伸び悩み、依然お客様は少ないまま。どんなに立派な舞台を設けても、聞いてもらえないのでは無意味です。
もの凄い期待と、もの凄い不安。アトムよ、どうしてくれる。リハーサル聞いて、いいとかイマイチとか言ってくれ。私はミディアムじゃないので、当然、返事はありません。でも、アトムならこう言うだろうと察しは付きます。
「俺はお客様がひとりでもやりたいです」。そうかゼロとは言わなかったな。アトムは聞く気満々だったんだ。不安も恐れもそのまま舞台に持って行って好きに弾いてこい。きっとそう思っているに違いありません。
10月30日の午前中で稽古を終わらせ、あとはチケットの整理や当日の事務的な準備の時間としました。稽古の完成度としては、申しぶんのない仕上がりです。あとは当日ステージでの不確定要素によって完成度が削られていくのをどれだけ防御できるか。それには集中力と鋭敏さがものを言うでしょう。
どんな結末になろうと、これが私の頂点。音楽の僕として、心と技と礼を尽くします。
〜続く〜