2度目の会場使用不可で更に約半年間の延期となったリサイタル。予定されていた5月6日の東京はいつもと変わらない穏やかさで、これならやってできないことはなかったのではと考えずにはいられませんでした。でも、いくら会場内が安全聖域であっても、会場アクセスでお客様を危険にさらすことは避けられず、やはり延期はしかたのないことだったとも思えます。
その後も状況は悪くなる一方で、イベント不要論の広がりにより、更に多くの演奏会が消えていきました。気の遠くなるような時間を掛けて準備したものが、突然の中止により無駄になることが重なると、モチベーションに大きな影響が及びます。インスピレーションに欠け、やらなきゃいけないという雑な気持ちで取り組んだ音楽に、魂が宿る場所などありません。
演奏機会が限られるからこそ、ひとつひとつを丁寧に準備し、印象深い演奏をお届けしたいのに、夏はずっと気持ちが追いつかない苦しい日々が続きました。神田将はもう終わった。自分でうっすらと自覚し始めているのを、音楽に引き留めてくれたのも、実はアトムでした。
アトムは再延期が決まった直後に体調の大きな変化に襲われ、入退院を繰り返すようになりましたが、声を出すのもつらい時でも頻繁に電話をくれて、今日は暇だったからリサイタルに誰それを誘ったとか、看護師を捕まえて宣伝をしたとか、寝ても覚めても10/31の成功を考えていることが伺える会話をしました。その度に私は勇気と意欲をもらい、強い自分を自覚するのです。時にアトムが弱気なら、私がその不安を吹き飛ばして希望を届け、いつしかお互いを支え合える最高のパートナーになっていました。
どんなに励まし合っていても、アトムの病状は重くなる一方。大好きな公演現場にもなかなか顔を出せなくなったものの、電話口ではいつも元気に展望を語ります。「リサイタルまでに俺はあとこれとこれをやっときます。」「できることがあればなんでも言ってください。」気にせずゆっくり療養してくれと頼みたい一方、アトムには張り合いが必要な気がして、ついつい話しをしてしまいます。
8月中旬、ホテルでの演奏会にアトムが家族で参加してくれることになりました。宿泊客向けの催しだったため、アトムにとっては久しぶりの宿泊を伴う家族旅行です。緊急事態宣言下で都外のお客様をお誘いできず少人数での演奏会となりましたが、アトムをよく知るホテルの皆さんがまるで大イベントのように立派な演出を施してくれ、ソロオンリーのコンサートを家族揃ってじっくり聞いてもらうことができました。
終演後、ホワイエで少し会話をし、明日の出発時に見送るからねと言ってひとたび解散。私は夕食のテーブルに挨拶して回り、自室に戻ったところでアトムに電話。興奮して感想を語るアトムに今から部屋まで会いにいきたいと思いつつ、ご家族との時間も貴重だろうと遠慮。また朝にと電話を切るも、アトムは体調が悪くなり早朝に出発。その後、ついぞアトムと再会することは叶いませんでした。
8月24日に短いメッセージをくれたのが最後。それから2週間待たずしてアトムは旅立ちました。常に音楽で満ちていた私の心が無音に。リサイタルを無理に押し進める理由もなくなり、意欲も焦りも踏ん張りも、何もかもが消えていきました。
〜続く〜