our ODYSSEY 4

2020年に巻き起こったパンデミックは、まるで人類が築いてきた文化を根こそぎなぎ倒すハリケーン。一度は消え去ったように見えてもまた襲い掛かり、いつになれば文化を再建できるのか、見通しすら立たない暗い日々が続きました。

2020年の演奏会はことごとく中止され、悲願のリサイタルも直撃を受けました。誰もが経験のない事態に翻弄され、何もかもが迷走し、理不尽が理不尽を呼び、途方に暮れながらも怒りに打ち震える毎日。あの大地震の年でさえ、ライフラインが復旧するよりも早く音楽を求めてくださり、非常時には文化が人々の心を支えるのだと実感できたのに、パンデミックでは、まるで価値のないものどころか悪のように言い広められ、まさしく奈落の底に突き落とされたも同然だったのです。

リサイタルが中止になる前に、すでに20公演以上がキャンセルになっていたので、中止の可能性が高いと覚悟はしていましたが、確定するまでは開催を前提として進めなければならず、これがとてもきつかったです。意欲に満ち溢れて稽古に励むべき時に、たぶんダメだろうとか、どの程度の損害が生じるのかなどと考えるのも悲しいですし、宣伝やお誘いもできず、どんどんキャンセルの連絡が入ってストレスが重なっているところに、「開催する気ですか」との非難の声も聞こえてきました。

時同じくしてアトムは体調を大きく崩すことが多くなりました。リサイタルの心労が原因のひとつにも思え、失意よりも罪悪感が重くのしかかります。

ギリギリまで開催ありきで進めましたが、緊急事態宣言を機に断念。リサイタルは1年間延期されることになりました。お客様への対応、関係者への対応は、たかが1公演でも実に多くの作業が伴うもの。精神的に大きく疲弊し、壁の一点を見つめて過ごす時間がどんどん長くなっていったあの日々を思い出すと今も息が詰まります。

それでも私はたかが夢を打ち破られたに過ぎず、生活がこれ以上落とせないレベルまで落ちたわけではありません。もっと困っている人がたくさんいると知っていましたので、助成金などの申請はせず、ひたすら嵐が過ぎるのを静かに待ちました。

その後、2020年内に出演できた演奏会はわずか8回。ふだんの10分の1ほどに減ったものの、それでも恵まれている方です。うち、6回は労音主催による公演でしたので、労音がいかに粘り強くて意欲的であるかがわかります。困難の中で、アーティストと手を携えて乗り越えようとする姿勢におおいに励まされ救われた1年でした。

2020年の秋にほんのしばらくパンデミックが落ち着いて、その間にタイミングよく開催された公演は、まさしく幸運だったと言えるでしょう。10月と11月には、アトムの肝入りでスタートした管楽器シリーズ2公演と豊洲の歌芝居が成功し、このまま勢いに乗れたらと皆で願いましたが、年末にはまた次の嵐がやってきて厳しい冬を迎えたのです。

ずっと苦しみながらも、私たちはただ嘆いていたわけではありません。いかにして安全に公演を開催するかを模索し、幕の上がったすべての公演で実践。確かな手応えとともに、胸を張ってお客様をお誘いできるようになったものの、お客様は想像以上に慎重でした。チケットは売れず、これでは小ホールに移ったってガラガラという状況の中、世間から少しも求められていないものをゴリ押しして何になるのかと、日毎の弱気になっていくばかり。

支えのアトムは体調を崩すことが増え、入退院を繰り返しており、余計な心配はかけたくない。「いっそ中止にしよう。」私は思い切ってアトムにそう告げました。

「神田さんがそうなら仕方がないです。でも俺はたとえお客様がひとりだけでもやりたいです。俺はどうしても大ホールで神田さんを聞きたいです。」

この時、アトムの方がずっと芸術家気質で、夢のためにまっしぐらに進める人なのだと知りました。私ときたら、現実的なことばかりを憂慮し、初心を見失っていたのです。やると決めたのは、求めに応じるためではなく、届けたい音楽があるから。またもアトムに教えられました。

2021年のゴールデンウィーク。腹をくくって演奏にのめり込み、本番に向けて最終調整をしていた矢先、直前になって会場が使用できなくなったとの知らせが。それを告げるアトムはやけに冷静でした。きっと私のショックを助長しないように、気持ちを殺してダイヤルしたのでしょう。今思えばあの時のアトムは私より悔しかったに違いありません。

2度目の延期。1度目よりずっと直前での決定でしたので、チケットをお持ちのお客様へのご連絡などにてんてこ舞い。サイさんは出演に備え、すでに住まいのスイスから帰国し、隔離期間を終えたところでしたし、松田さんにはレパートリー外の新規編曲作品に膨大な時間を割いてもらっていたので、おふたりに延期を知らせるのも心苦しかったです。

そして、何とも心が落ち着かなかったのが、延期発表をする段階で延期日程が決まっていないことでした。そもそも会場使用不可の知らせ自体が寝耳に水でしたし、すでに連休期間に入っていたので、会館側も都からの通達を伝える以外の対応ができない状況だったのです。

また1年延びるのか。でも、私にはどうしても1年待てない事情がありました。アトムは重い病を抱えており、痛みや堪え難い不快感と闘っていたのです。あと1年耐えてくれなんて、それだけはダメだと私の全細胞が抵抗しました。

延期日程の調整はアトムにしかできない役割。私は何としても年内にやらせてくれと懇願しますが、それがあなたの体を考えてのことだなんて口が裂けても言えません。でも、アトムは私に余計なことを聞いた試しはなく、一度頼めばすぐさま実現する魔法使い。この時もアトムらしく、年内は不可能と言われていた大ホールの代替日程を、東京労音の総力をあげて確保。こうして10月31日への延期が決まりました。

〜続く〜

東京労音の頼れるアンクルたち
アトムと中井智彦さん
アトム、姫路労音の西脇さん、フルートの玉村さんと。