our ODYSSEY 2

いつかは東京文化会館大ホールで。「贅沢な夢であっても、それが自分の成長を後押ししてくれれば儲けもの」程度に淡く構えていたものが、アトムこと齊藤博之さんの力で、にわかに現実の企画として目の前に出現。開催日時は2020年5月9日、連休明けの土曜日なので午後公演に決定し、直ちに内容の検討が始まりました。

ここで浮かれて好きなこと、ただやりたいことを並べていたら、さすがのアトムも私に愛想を尽かしたかもしれません。何のために開催するのか。何を示し伝えたいのか。それをアトムと共に考えました。

究極は神田ソロオンリーがベストだとアトムは言います。私もそうできたら最高ですが、私の集客力の問題もありますし、当時は、エレクトーン1台の可能性を示すのに大ホールである必要はないと思っていました。では、ミニマムにしてマキシマムなアンサンブルはどうか。ソロは自己管理の世界ですが、2人になった瞬間に協調と制御の世界に変わります。

アトムのエレクトーンに対する持論も興味深いものがありました。伴奏楽器、つまりアンサンブルにおいて相手に寄り添う楽器であるイメージを変えたい。どこまでも寄り添えることは知っているが、互角かそれ以上の存在になり得ることを示したい。そして、クラシックシーンに、エレクトーンがあることを当たり前にしたい。

「エレクトーンの開発者でも営業係でもないのに、どこからそんな愛情が出てくんの?」私はアトムにそう尋ねました。「これまで三味線や揚琴やギターなど、同じような変容と昇華を経て歴史を塗り替えた楽器をいくつもこの目で見てきた。エレクトーンにも同じことが起こる。」「エレクトーンは舞台の中心になり得る楽器だし、神田さんはそれをする人だ。」またも消防車を呼びたくなるほどの熱弁をふるうアトムに、私はすっかりその気にさせられました。

ミニマムアンサンブルは、後に豊洲で始まった1×1=∞シリーズに象徴されるように、私たちの最重要テーマです。エレクトーンが可能にする驚きと夢のあるステージ。そして噛み締めるほどに味わいの出る深みを秘めたステージ。その真骨頂を大ホールで示そうじゃないかということになり、私は共演相手の選択と選曲を進めていったのです。

第2部にサイ・イエングアンさんをお呼びすることは、すぐに心が決まりました。世話になった方々は数知れませんが、サイさんほど私の音楽に影響を与えた人はおらず、大ホールでの存在感や品格においても抜群。そしてサイさんの歌唱を知り尽くすにじゅうぶんな共演回数を経験しているので、安定して芳醇なステージをお届けする自信がすでにありました。

サイさんにご出演をお願いすると、「神田さんおめでとう!よかったね!」と祝いの言葉を浴びせてくれ、「ぜひ力を合わせてお客様に喜んでいただきましょう」と快くお引き受けくださいました。

さて、第1部はどうしようか。半分はソロを弾くべきか、もう一人共演者を呼ぶか。ここもアトムに相談です。「俺は、何度も言いますが、全編神田ソロでもいいんですよ」と、ソロを勧めるアトムに、その前にひとつ、いやふたつ話を聞いてくれと頼みました。

ひとつは、オールソロはぜひやりたいし、やるべきだと思っている。でも、それは小ホールでいい。皆さまこれがお聞きになりたいですよねと、くつろいだ雰囲気で余裕のあるリサイタルをするのは私の次の目標でいい。その前に、私のエレクトーンをまだ聞いていない別世界の人たちに聞いてもらう必要がある。アトムと作った企画とエレクトーンを新しい境地に誘ってくれる別世界の人たちを客席に集められる共演者とやりたい。

もうひとつは、ソロでは示しにくい全体の統率力を提示したい。大ホールを与えられて弾かされている奏者ではなく、空間の分子のひとつまで自分でコントロールするコンダクターであることを証明するために、一筋縄ではいかない一流の共演者とやりたい。

第1部の曲目は「シェヘラザード」。私はこれに人生を賭けて、ヴァイオリンとのデュオでやる。協奏曲でもオケ中ヴァイオリンでも室内楽でもない、新しいアンサンブルをやる。それを許してくれるなら、直ちに編曲を始め、共演者の希望を出させてもらいたい。

アトムは私の願いを受け入れるだけでなく、自分の思いとして組み込み、それから毎日のように名門管弦楽団のシェヘラザードを聴きまくったそうです。「神田さんがなぜこれを選んだのかわかってきた!」と、またも熱弁モード。寡黙と雄弁の落差が激しく、海のような人だと思いました。まだなぜアトムなのかわかりませんでしたけど。

〜続く〜