2度延期となりようやく開催される東京文化会館大ホールリサイタルまで、一週間となりました。嵐のように駆け抜けた10月前半の演奏会ラッシュから一転、ゲストとの緻密なリハーサルが始まり、まさにリサイタル一色の日々を送っています。
日を追うごとに気持ちが高まり、意欲に燃えてくるものと想像していましたが、現実はずいぶんと違っていました。今は迷いばかりが増幅し、一度は固かった決意が揺らいでいます。
本当にこれが私の望んだ舞台なのだろうか。何のためにこれをやるのだろうか。
その答えを見失ってはいませんが、徐々に見えてきた公演全貌のスケール感に、足のすくむ思いです。
まず、私がなぜ音楽をやっているのかと言いますと、それが世間の役に立つ上で最も効果的で価値ある手段だと考えているからです。誰かを救ったりハッピーにしたいがために舞台に立ち続け、聞き手の表情からそれが実現したと感じられた時に初めて、ささやかな達成感を得てきました。
しかし、今回はどうでしょう。会場の規模も格も、私にはもったいないばかりで、身の丈に合っておりません。寛大にもご来場くださいますわずかなお客様には大きな期待を寄せていただいておりますが、それは大ホールだからでなく、神田将を応援したいとのありがたいお気持ちからだと推察します。であれば、もっと小さなほどよい空間でじゅうぶんなのです。
大ホールの舞台に神田将をと奔走してくれた友はもうこの世におらず、応援されればされるほど、善き人たちを私の贅沢なわがままで振り回している気がしてなりません。
これではほとんど人のいない東京ドームで当代名手をつかまえてキャッチボールをするようなものです。
それではいけません。ホームランは打てなくても、見応えあるファインプレーをお届けするのが私に課せられた第一の責任です。それを繰り返し思い、気持ちを奮い立たせようとするものの、迷いから抜け出せずにもがいています。
考えれば余計に逸れてしまうので、今はひたすら稽古をし、後のことは終わってからけじめをつけようと思います。
サイさん、松田さん、おふたりとも本当に素晴らしい音楽家です。出会えたこと、同じ舞台に立てること、このご縁を思うだけでも、私は何という幸せ者だろうと感じます。
サイさんの歌声は人の声にして人の声にあらず。改めて耳を傾けると、この世のものとは思えない心地よい波に包まれながらまどろむような感覚でした。
松田さんのヴァイオリンは、エレクトーンの弱点を見事にカバーしながら小気味よいアンサンブルをしてくれます。一丁のヴァイオリンが持つ神秘の力を見せつけられ平伏する思いです。
こんな奇跡の顔ぶれが本気を出してくれているのに、私がこんなでどうする?満席でなくても、たとえガラガラでも、心の熱いお客様ばかりなのだから、またとない理想的な雰囲気になるはず。これまでだって、どんな環境でもベストを尽くして来たのだから、今回も同じこと。せっかくの広い空間を生かして、ダイナミックに繊細に、エレクトーンらしい演奏を。
つらつら書いていたら、また気持ちが固まりました。
今月前半は共演者のいる演奏会が多くありました。共演者を支え、人と人の縁を取り持ち、世に羽ばたかせる立場もまた、やり甲斐のあることだと思います。弾かなくても音楽で世に貢献する方法がたくさんありますが、演奏するチャンスが残っている今は、ひとまず舞台に集中します。