11/21 在りし日の歌

エレクトーン奏者になって30年弱、長期に渡り共演を重ねることで互いを知り尽くすに至った相手に多数恵まれてきました。そういう相手とは、時に一年以上のブランクがあっても、再会を果たせば即座に呼吸を合わせられます。

11月21日。昨年の「米津真浩・ラフマニノフピアノ協奏曲ダブル」でスタートを切った「1×1=∞」シリーズは、2回目の相手として歌手で俳優の中井智彦を迎えて開催されました。

この企画で私が相手に真っ先に尋ねるのは、「何をやりたいですか?」です。昨年の米津は「ラフマニノフをダブルで」と即答し、今回の中井は「中也をやりたいです」ときっぱり言いました。常に目的を持っているアーティストは、常に刺激的です。

これらは、相手にとって最も思い入れが深く、大切な領域にて磨き続けられているもの。しかし、受けて立つ私にとっては未知の世界に等しく、一からの学びを要求されます。

新規に干渉する私よりも明らかに先を行っている者と、当日には肩を並べなければならない。これはたいへんな重圧で、経験や創作意欲をフル活用してもまだ足りず、吐き気と涙と後悔にまみれながら途方に暮れ、明日で世界が終われば当日を迎えずに済むのになんて本気で考えたりするのです。

そういう意味で、今回の中也は最高に苦しく、だからこそやり遂げたい欲望に駆られる日々でした。準備が最終的に整ったのは当日の朝、会場へ出発する10分前のこと。何か口にしておかなければと、皮のままの洋梨をかじりながら出掛けました。

会場では舞台の準備が着々と進んでおり、中井もすでに楽屋入り済み。コスチュームを掛けたら面々に挨拶回りをと思っていると、先に中井がマネジャーと共に楽屋を訪ねて来てくれました。

本番に向けてコミュニケーションを深めておきたい気持ちもありましたが、彼も膨大なセリフと段取りに集中したいだろうと考え、あえて距離を置いて過ごすことに。やがてリハーサルが始まり、照明や音響によって別世界へと仕立てられた舞台の中で再会します。

私にとっては慣れない環境での初めての作品。エレクトーン特有の複雑さに神経を注ごうにも、それ以前の段階で落ち着かず、過去に経験がないほど崖っぷちの感覚の中、唯一確実性を保っていて、私がすがっていられたのが、中井の存在でした。

なんとか第1部のリハーサルが通り、第2部のリハーサルへ。後半は歌のコンサート。リビングルームのようなくつろいだ雰囲気でやろうと話し合っていたので、自分もリラックスしようと、「これまで何度も一緒にやってきた相棒だから絶対大丈夫」と思うことに。

でも、弾きながら、ふと中井との共演はこの日まだ2回目だということに気付きました。長年の相棒と変わらない安心感に気分が高揚。いいステージになると確信できました。

やがて昼の本番。リハーサルをしたばかりとは言え、本番はこれが初。やはり意識を持っていかれる事象も多くあって、バッテリーが火を噴く寸前のような脳で、なんとか着地。ダイハードの主人公の気分でした。まさに本番はサバイバルです。

確か、本番中のトークでF16戦闘機を操縦している感覚と言ったような記憶が。ほんの0.1秒意識を逸らせば、もう自分の居場所を見失なう。そんな感覚でした。急遽弾くことになったオペラ座の怪人は弾き慣れているはずなのに、何を弾いているのか理解できていませんでした。完全に脳が飛んでたのだと思います。

これじゃ夜の部は救急車かなと思いきや、いつの間にか自分を取り戻し、しっかりコントロールしながら演奏できたことに、我ながら驚きました。1度でも経験すれば、同じ罠には引っ掛からないということでしょうか。

もっと質の高い演奏で中井を支えたかったとは思うものの、この先の新しい展開に向けた足掛かりとしては、よい成果を届けられました。

これというのも、ご来場くださったお客様のおかげです。感染拡大を受け、毎日キャンセルのご連絡が入り、興業として成立するラインを大幅に下回ってしまいました。その責任は制作を兼ねている私にありますので、全スタッフと共演者に迷惑が及ぶことはありませんが、モチベーションの点で足を引っ張ってしまった申し訳なさがあります。

もはや幕を上げられないのではと不安になった時、必ず行きますと言って本当に来てくださったお客様、中身を信じて幕を上げてくれた主催の東京労音、共催の豊洲シビックセンターに、大きな力をいただきました。

来たくてもお越しになれなかった数多くのお客様のために、よりパワーアップしての再演を考えておりますので、その際にはぜひ応援をお願いいたします。