上海より二胡奏者の趙磊を招いたコンサートから、早いもので2ヶ月が経とうとしています。
その日、弟子の星野が自慢のカメラで写真を撮ってくれていたのを、今日やっと目にすることができたのですが、高価なカメラは写りがいいなと感心する一方で、舞台にいて演奏会を司りながら見る視野と、客席からの風景とでは、こうも印象が違うものかと驚嘆しました。
この時期、私は複数の企画に関わっており、膨大な編曲と練習に追われる日々が続き、そのためあまり記憶が鮮明ではありません。加えていくつもの危機的状況に直面し、今にも壊れそうだったことが、星野の撮った写真にも表れています。
たくさんの写真をスライドショーモードで眺めていたら、舞台で考えていたことが次々と蘇ってきました。コンサート開演中は、プログラムを滞りなく進行するためにあれこれと頭を廻らせながらも、共演者の音楽性を最大限引き出すために様々な仕掛けを相手になげかけています。それらは予測不可能なので、その時点で何がベストかを瞬時に判断してアクションを起こすのですが、相手が趙磊の場合、互いのことを敏感にとらえ合っているので、非常に面白いアンサンブルができます。この日も、開演中の2時間足らずの間だけは、他のことを一切忘れて演奏を楽しみましたが、いつもより気迫が薄かったような気がします。
趙磊の方はというと、写真から音が聞こえてくるかのようで、終始表情豊か。ますます品格も高まり、立っても座っても弾いても美しい居ずまいを見せています。音楽にシンクロしながら刻々と変化する紀平さんの照明も見事で、渋谷の殺風景なスタジオが別世界のよう。その中に、ひとり溺れそうで無様な自分を恥じずにはいられませんが、こうしてなり振り構わず必死で演奏会を支えるのが、最近の私の立ち位置なのかもしれません。
それでは、星野撮影の写真を、タイムラインにそってご覧ください。