東洋館の高揚感

浅草東洋館での第7回タクト音楽祭が終わりました。音楽祭と言っても、今年の出演者は指揮者形態模写をする好田タクトとエレクトーンを弾く私のふたりだけですが、ほどほどいい感じに客席を埋めてくれたお客様のノリが格別で、コンパクトながら音楽祭の様相をじゅうぶんに醸していたかと思います。

この華やいだ空気の中で、私は溺れないようにするのに必死でした。それは雰囲気に呑まれないようにではなく、文字通り呼吸を確保するためのサバイバルとしてです。お客様を心地よい流れと抑揚で乗りに乗せる好田タクト。それにただ便乗したのでは、私は演奏家ではなく芸人です。いつ何が起こるかわからない中で演奏することには慣れているつもりですが、それでもタクト音楽祭はいつも究極の修行。今回もまた、演奏しながら何度「殺す気か」と思ったことか。

エレクトーンでの管弦楽作品演奏では、すべてのパートを受け持つ性格上、そもそも呼吸に無理が生じます。そこを巧みにコントロールしてスムーズな引き継ぎや流れを保持するのですが、その生理を理解できるのは演奏経験者だけです。また、どのような楽器でも、独奏を他者が管理することはありませんので、私も独奏者としてそうした干渉を極度に嫌う傾向があります。

一方で、好田タクトには遠慮することなく思う存分パフォーマンスをさせてやりたいという欲求もあり、いつも自分を厳しい立場に追いやってしまうのです。

今回もバタバタと落ちつかないうちに開場時間を迎えました。ここは寄席。タバコ臭い雑然とした舞台裏。きちんとしたリハーサルもなし。演奏へ向かう気分を高める要素は何もありません。ふだんがどれほど恵まれているかを感じると同時に、芸人の皆さんはこの環境で来る日も来る日も見事な芸をやっているじゃないかと、自分を戒めながら気持ちを奮い立たせようと努力します。

幕が上がり、好田が独り舞台を演じる姿を袖で見守ります。客席の空気に意識を向けると、笑い声の中にも品が感じられ、粋な楽しみ方をしてくれていることがわかりました。ステージと客席が一体となるには打ってつけの東洋館。芸が進むにつれ高まる連帯感と高揚感。舞台袖にも波が伝わってワクワクします。

私の出番。好田の意図や展開は理解しているので、平常心で演奏しているのですが、徐々に呼吸が苦しくなりました。好田は私にパフォーマンスに縛られず自由に演奏して構わないと言ってくれます。しかし、音楽は調和が命。音を出しているのは私独りだとしても、本能的に調和を図ってしまいます。巨大な重力に引き寄せられる中、必死でバランスを保とうとするものだから、本当に文字通り息ができません。この時ばかりはマジで「殺す気か」と思いました。この状態で、自分の限界に挑むような大作を次から次へと弾かされるのは、ジュネーヴ条約に反しているんじゃないでしょうか。

と、散々なことを言っておりますが、それでも私は好田タクトもタクト音楽祭も大好きです。ひとりで演奏活動を続け、アタマが固くなる年齢に差し掛かった今こそ、このような経験が必要だなとつくづく思います。終わってみれば、スパルタトレーナー付きでトレーニングを終えたような爽快さが感じられますし、演奏感度も間違いなく向上したと思います。

お客様の反応も素晴らしく、これは間違いなく第8回へと続いていくことでしょう。この舞台裏で少ない情報と厳しいリソースの中、最高の環境を築いてくれたスタッフ「チームKANDA」の仕事と若き漫才コンビに大拍手を送ります。

The 7th TAKT Music Festival at Asakusa Toyo-Kan Comedy Theatre

Impersonation of the greatest Maestros:Takt Koda

Electone:Yuki Kanda

Ravel: Boléro(dance performance with audiences)

Beethoven:Symphony No.5-1 (Paavo Järvi)

Mussorgsky(Ravel):Pictures at an Exhibition (Sergiu Celibidache)

Wagner:Prelude to Act 1 of Die Meistersinger von Nürnberg (Takashi Asahina)