ヴァレンタインコンサートの朝、まさかの積雪にまず心配したのはお客様の足取りでした。でもそれ以前に、自分自身が会場へと足を運ばなければなりません。車が使えず、タクシーもつかまらず、覚悟を決めて地下鉄の駅まで雪道を歩き、海の向こうの台場を目指しました。
いつもは観光客で賑わう台場の施設も、人影はまばら。会場となるコルトーナが入っている建物も、閑散としていました。約束の時間に会場入りし、まずは楽器セッティング。ふだんは披露宴会場として使われているロマンチックな部屋を、コンサートらしく模様替えし、リハーサルも済ませました。
いつもなら目の前に見えるダイナミックなレインボーブリッジと、その向こうに広がる東京都心の高層ビルとが、きらめきを競い合っているかのような景観が広がっているそうですが、この日見えたのは橋のかすかなシルエットだけ。リゾート風のルーフトップテラスも雪化粧しています。
お客様のことや自分の帰宅手段のことなど、心配は尽きませんが、まずは演奏に集中しなければ。響きは思っていたより上々です。床が石であることや、天井の高さなどに助けられました。
エレクトーンは2本のスピーカーに接続しましたが、ヴァイオリンは完全なアコースティック。音量のバランス以上に気を使ったのは、エレクトーンの音質です。
いつもよりもメローにして、ヴァイオリンの持つ音量に限りなく接近したとしても、ヴァイオリンが埋もれることのないようにしました。いつも私の演奏を聞き慣れている人には、少しこもったように聞こえたかもしれませんが、控えた音量でみすぼらしく聞こえたり、出しゃばり過ぎてヴァイオリンを掻き消してしまうよりはいいはずです。
開場時間が近づくにつれ、今日の演奏会は催行するのか、時間通りかなどの問い合わせが相次ぎました。と同時に、来場を断念するとの連絡も。外は激しい降雪ですから無理もないことですが、だんだんと気が滅入って来ました。
ところが、開場とともに次々と到着するお客様の声が控室にも聞こえてきて、開演時間にはだいぶ席が埋まりました。ゆりかもめが運転を見合わせ、レインボーブリッジが事故で封鎖されたとなれば、手段はさほど残っていないのですが、それでもあの手この手で駆け付けてくれるお客様の熱意に、どれほどパワーをいただいたか知れません。
また、途中まで来ていながら、断念して帰宅なさった方もいらっしゃいますし、遠方より空路で来場予定だった方が空港で足止めされたりと、来たくても来られなかった方々の思いも受け止めて、よい演奏に生かしたいもの。あれこれ考えを巡らせているうちに、絶好調の気分になりました。
いよいよ本番。掛橋さんと一緒に会場へ。神秘的な美しさに満ちたタイース瞑想曲からスタートです。私は掛橋さんの本番での音を聞くのは、この瞬間が初めて。掛橋さんも私の本番は初めて。この先、何が起こるのか、誰にもわかりません。互いに音楽で何かを投げかけながら、そこで生まれてくるものを感じあって進めます。
あっという間に第1部が終わり控室へ戻り、第2部へ備えます。以前の私は休憩なしで一気に駆け抜けるのが好みでしたが、今はここで気持ちをしっかり落ち着け、新鮮な状態で後半に向かう方が仕上がりがよいと感じるようになりました。
第2部は私のソロからスタート。2曲を続けて弾いて、すぐさま終曲になってしまいました。最後はふたりでツィゴイネルワイゼン。やっと掛橋さんとの音楽での対話がスムーズになってきたところでフィナーレ。ああ、これからだというのに。まあ、本番はいつもそんな感じです。
終演後は隣室でワインやコーヒー、チョコレートを振舞いながらの懇親会。ステージでは愛想のいい私ですが、終演後にお客様と接するのは実は苦手です。というのは、エネルギーを使い果たしているので、頭が特に回らないからです。実際、演奏に関することはどんな微細なことでも覚えていますが、懇親会でどなたと何を話したのかは、かなりぼんやりとしています。HOSSIの撮った写真を見ると、揚琴の名手、金亜軍さんと記念撮影してたみたいです。
それから、盛り上がっている懇親会を抜け出して、手伝いに来ていたTANEとHOSSHIとともに、使ったエレクトーンを片付け、楽屋をもとの状態に戻して帰路につきました。
外は一段と激しい風雪。寒かったけれど、みんなと一緒だったので、なんだか楽しくて仕方ありませんでした。遅れて混雑する電車に乗り、途中駅でだんだんとわかれ、ついにひとりに。
風に舞ってキラキラと輝く雪片に美しさは、寒さを忘れさせてくれるほど。ボロボロに疲れていても気分がいいのは、時にヴァイオリンの引き立て役として、時にソリストとして、よい演奏ができたから。今年のヴァレンタインは、新しい体験尽くしの一日でした。
TANEとHOSSIは、停電して立ち往生した横浜線で一夜を明かしたそうです。「寒さとトイレで修羅場でした」とはTANEの弁。さすがにこれは予想外だったでしょうけれど、帰宅が困難になることは織り込み済みで、私のコンサートを全力で支えてくれる姿勢に感服します。