よい演奏のために

3月13日は川越やまぶき会館で、エレクトーンのソロコンサートでした。500席ほどの小さな会場でのシンプルな演奏会ながら、私にとっては非常に大きな発見と意味のある、特別な一夜となりました。

私の演奏会は、いつでもディザスタームービーのよう。崩れ落ちていく舞台で、降り注ぐ銃弾を避けながら弾いているような気分であることが多く、準備してきたものを発揮しながら、のびのびと演奏するにはどうしたらいいのかを、ずっと考えてきました。

自分の力不足を棚にあげるつもりはありませんが、力不足では説明のつかないことがたくさんあり、最も大きな問題は、なぜ集中力が欠けていくのかでした。ちょっと気が散るという程度ではなく、今は弾くべきでないと感じることも少なくありません。

しかし、川越では気が散るどころか、演奏が進むほどに集中力は高まり、身体の制御も向上していきました。体調は万全とは程遠く、時折全神経がブロックされて糸の切れた操り人形のようになる瞬間は何度もありましたが、それでも瞬時に持ち直しながら125分のプログラムを余裕で終えられたのです。

何がこのような力を与えてくれたのでしょう。答えは簡単です。私が自分の演奏以外に気を配る必要のない環境だったからです。

会場入りした時にはエレクトーンのセッティングが整い、主催者から期待を込めた出迎えを受け、ステージスタッフはにこやかにきびきびと要望に応じてくれました。

私は体力を考慮し、一度だけ本番通りのランスルー。使い慣れたスピーカーなのでどう弾けばどう聞こえるかを悩む必要もありません。客席での聞こえ方はスタッフが調整してくれ、聞いていて心地よいという言葉に安心することができました。

そしてじゅうぶんに休息し、落ち着いて身支度を整え、胸を張ってステージに進みました。

最初こそ賑やかだった客席も、ひとたび演奏が始まれば静まり返り、見事な聞き方で舞台と一体になってくれ、まさに音楽と時間を共有しているという感覚を持てたのは、最高の歓びです。

裏返せば、私は多くの演奏会で、まったく演奏に集中していなかったということです。クラシックの演奏会では、弾き手を集中させることは最重要とされているにもかかわらす、私自身がそれを求めてこなかったことも反省しなければなりません。

多くの成果と気づきのあった川越での演奏会。私を「よき演奏家」に仕立ててくれた優秀なスタッフと、のせ上手なお客様に感謝いたします。