ああ、哈爾濱

今、中国ではエレクトーンが大きなブームです。音楽教室は拡大の一途。増え続ける生徒に対して先生が大きく不足しており、立派な先生を目指してエレクトーンを専門に学ぶ若者が大勢います。

それだけに、中国各地でセミナーやフェスティバルが活発に展開されており、この度、黒竜江省で初となる国際電子オルガンフェスティバルが、省都ハルビンで盛大に開催され、私も張り切って参加して来ました。

今回、私に声を掛けてくれたのは、主催の中心人物である王永剛老師。電子オルガン界きってのダンディで、いつも名画の俳優のよう。そんな王老師は、私の上海や北京での実績、誰とも違っているオンリーワンのステージを気に入って、フェスティバルのクロージングコンサートに抜擢してくれました。そして、せっかくハルビンに来るならレッスンもぜひと、コンサートに加えてマスタークラスを3日間受け持つことになったのです。

会期は4月26日から3日間。前日出国、翌早朝帰国のタイトなスケジュールに、びっちりとタスクが埋め込まれ、出かける前から気が遠くなる思い。でも、日本から一緒に参加する方々は、私よりも年長か女性たち。働き盛りの私が音を上げるわけにもいきません。

出発日の朝は、豪雨でした。これは先行きを示しているのだろうかと不安になりながら、成田空港へ。ふだん乗ることのない中国系エアラインのチェックインカウンターは、長蛇の列。乗客のほとんどは日本の旅を終えた中国人たち。まだ日本にいながらにして、ちょっとしたカオス。

でも、フライトは案外快適で、3時間足らずでハルビンへ到着。いつものようにささっとすり抜け、イミグレーションには一番乗り。だというのに、荷物が出て来たのはほぼ最後。ターンテーブルの前で50分も待ちました。

やっと王老師と出会い、固く握手を交わして、いざハルビン市内へ。立派なホテルに荷物を降ろし、早速、初日の交流会へ向かいます。

東洋のパリと謳われる美しくノスタルジックな街並みを散策し、帝政ロシアを思わせる古風なレストランで顔合わせ。ハルビンのエレクトーン界を支える面々に加え、北京から駆け付けた王暁蓮老師、日本からの阿方俊先生、西山淑子先生、西岡奈津子先生、総勢30人ほどの会食です。皆さんそれぞれの挨拶を聞いていると、まさにこの古いレストランで新しい歴史が始まるんだなと実感しました。

翌日は8時半からマスタークラス。ひとりが終わるとすぐに次。間に1分の休息もありません。ランチは一息つけるかと思いきや、偉い皆さんとの会食。これも大切な交流です。そして午後のレッスン。ひたすら時間に追われます。

そして、レッスンが終わると、車で40分ほど離れたコンサート会場へと急行。1日目はソプラノ司馬麗子さんと西岡奈津子さんの演奏会に向けたリハーサルです。中国での演奏会は、いつも音響面で非常に苦労しますが、今回もたいへんでした。

はやく音響をフィックスして、音楽稽古に入りたい演奏者たち。それもそのはず、日中で離れているので、事前のリハーサルができず、この日が初合わせなのですから。しかも、ゲスト歌手もいて、その人とは初対面です。

ところが、用意された音響設備からは運動会のBGMのような音質しか出ず、とても音楽会の様相をなしません。あれこれと調整しているうちに、時間だけが虚しく過ぎていきます。ホールが使える時間は限られており、音質が満足に定まらないうちに終えざるを得ず、これではダメだということに。主催者を説得し、急いで別の音響業者と機材を手配してもらいました。翌日のリハーサル時には準備が整うと聞き、一安心。

2日目も午前、午後とレッスンをみっちり実施した後、コンサートホールに駆け付けると、舞台には立派なスピーカーが設置され、エンジニアが作業を進めていました。ところが、一向に音が出ないのです。どうやら使い方がわかっていない様子。その間、リハーサルは中断したまま。結局、新しい機材は使えず、ランスルーもできず、演奏会の幕は上がってしまいました。

この状態で演奏するのは、精神的に困難を極めます。私は客席からステージを見守るしかできませんでしたが、司馬さんも西岡さんも信じられないくらいタフに演奏会を成功させ、その精神力の逞しさに圧倒されました。どこでブチ切れてもおかしくない状況の中、一言の文句も発しなかった西岡さんには、同じエレクトーン演奏家として最大級の敬意を表します。

 

さあ、明日は我が身。実は、初日の夜から心配で仕方がなかったのですが、司馬さんと西岡さんのコンサートが終わるまでは大人しくしていようと決めていました。でも、もう黙っていられません。プロとは言えないエンジニアと心中するつもりはないので、更に別のエンジニアを手配するよう、王老師に直談判。王老師は、フェスティバル全体のことで誰よりもお疲れなのに、きちんと話を聞いて希望通りに対応してくれました。

最終日のレッスンを終えて、会場へ直行。本来は西山淑子先生の自作曲の演奏会を鑑賞する予定でしたが、泣く泣く諦めました。何しろ、まだスピーカーから音が出ていないのですから。それに、これまでの経験から、そう簡単には解決しないとわかっていましたので。

予想は残念ながら大当たり。新たに配置されたエンジニアも、まったくわかっていない素人でした。開場2時間前までに音が整わなかったら、残念ながら演奏会は取りやめると宣言していたのですが、2時間10分前になって、会場備品のモニタースピーカーをメインスピーカーとして代用することで、まずまずの音をだすことに成功。これは西岡さんのアイデア。本当に救われました。

音質や音量を注意深く整えたら準備終了ですが、あともうひとつ重大なことが残っています。それは、この音質と音量を終演までキープするようエンジニアに約束を取り付けること。しつこいくらい何度も確認しました。

やがて演奏会は満席のお客様の期待とともにスタート。「ハルビンの要人も多数来てくれるから、絶対に失敗はできないんだ」という王老師の言葉を噛み締めて、いつものように自信に満ちた顔で登場。

最初の曲はピアニッシモから。聞こえるか聞こえないかの音を、隅々まで聞かせるのは私の得意技です。しかし、エンジニアはそれを「物足りない」と勝手に判断してしまいました。結果、第1部はすべて爆音に。どうやら、舞台よりも前面にあるスピーカーの音量を大幅に上げてしまったようです。

私の近くにはメインとして使っているスピーカーがあるため、客席に向けてそれほど大きな音が加わっているとはわかりませんでした。第1部が終わって、日本からの仲間が、前面スピーカーを下げるよう動いでくれたのですが、なかなかエンジニアが納得せずに苦労しました。第2部は、本番中に音調整を進めるという状態。中盤からは響きも安定し、やっと音楽と心をひとつにして演奏できる環境が整いました。

本来は、この環境を整えるために、リハーサルがあるのです。できることなら、最初の第1音からやり直したかった。でも、この混乱した演奏会を終えて、覚悟していたほど気落ちすることはありませんでした。

神田将のベストをお見せするというところには至りませんでしたが、決して悪い演奏ではなかったと感じていますし、ハルビンの皆さんにはじゅうぶんに衝撃的なコンサートだったはずです。それに、中国の皆さんにとって、爆音は私が気にするほどマイナスではないのかもしれませんし、第2部になって音量が急に穏やかになってからも、鑑賞への集中力が低下することはなかったので、あんがい音楽そのものを受け入れてくれていたのかもしれません。

また、体力が尽きそうな状況でも、いざ演奏となれば、まだ私の体には必要なホルモンが駆け巡るということもわかり、自信が持てました。ふだん、孤独の戦士を自負している私が、淑子さん、なっちゃん、麗子さん、阿方先生、そして弟子の麻友や玲那に助けられ、最強のチームワームを満喫。ハルビンの先生たち、通訳の子、受講生たち、私たちみんなが音楽でひとつに。第1回黒竜江省国際電子オルガンフェスティバルは大成功でした。