移転のため、この12月で現在の場所での営業が終了するエレクトーンシティ渋谷。シティがなくなるわけではありませんが、私にとっては20年間ここがホームグラウンドでしたから、この場での最後の演奏会に際しては、特別の思い入れがありました。
そして、12年前に銀座の小さなスタジオで産声をあげ、渋谷に場を移してから今まで、シリーズとして皆さまにお楽しみいただいたSongs from My Heartも、ひとまずここでファイナル。20年続いたラ・パレットのサロンコンサートに次ぐロングランでしたので、こちらもまた感慨深く当日を迎えました。
実は、11月19日のファイナル公演を迎えるには、試練がありました。初回から最終回まで、楽をしたことは一度もなく、私は心の中で「地獄の訓練コンサート」と銘打っていたのですが、だからこそ今の私があると言えるほど、多くを学び、経験できる場でもあったのです。
まず、キツかったのは日取りです。これが決まる前に、佐賀の学校巡回、深谷・佐野の2日4回リサイタルが決定していたので、コンディション的に厳しくなることが予想されました。できれば別のタイミングがよかったのですが、閉館が決まった会場に空きは少なく、唯一残った日曜日はこの日でした。
独奏や慣れているアンサンブルなら、中1日あればコンディションを回復することはじゅうぶん可能です。しかし、このシリーズは、好きな作品や得意な曲を披露する場ではなく、作家による構成台本に沿って展開するため、準備には相当な手間と時間を要します。今回はそれを考慮して、曲目決定とリハーサルを9月までに終わらせるよう、プロデューサーや共演者に協力してもらいました。
にもかかわらず、準備はいくつもの壁に当たります。まず選曲。指示された曲目はどれも素晴らしい作品で、構成は実に絶妙。その通りにするのがベストであることは一目瞭然。しかし、エレクトーンで表現するには向かないと思われる(というか私が勝手にそう思い込んでいる)作品や、私が不得意とする曲が数多く含まれているのです。
時間をとことん注ぎ込めば、不向きも不得手も克服できるでしょう。しかし、演奏会は次々と予定されており、そのすべてが私にベストを望んでいますので、それぞれに使える時間には制約があります。
おそらく、プロデューサーに状況を話せば、すぐに対応してくれたでしょう。でも、自分の都合で、完璧な構成に傷を付けるのは、苦労を背負うよりも耐え難く思えました。そして、やるからにはつべこべ言わずにやるのが粋というもの。台本の通りの役割を果たせるよう、すべてを引き受けました。
初回のリハーサルでは、編曲で行き詰まっていることを共演者に打ち明けました。そして、実際にさまざまな音色とニュアンスでアンサンブルを試してもらい、響きの溶け合い加減や、旋律の浮き立たせ方などを吟味。これが非常に有意義で、編曲の方針を一気にまとめることができました。
そうこうしているうちに、シーズン突入。しばらくこちらの曲目に手を出せません。一通り準備は済ませてあるものの、体に沁み込んではいないので、どんどん忘れてしまいます。たまに思い出し稽古をしても、練るどころか戻すところまでも行かず、かえって不安になっていきました。
そして、深谷・佐野で燃え尽きて帰京した夜、早速スイッチを切り替えて渋谷に向けて一気に仕上げようとしたのですが、体力よりも集中力が持たず、かえって焦りが募りました。でも、やらなければ幕は開けられません。
夜通し稽古して、翌日は渋谷に全員が集まってのリハーサル。台本を読み合わせながら、本番通りに進めていきます。実はトークもすべてセリフが決まっています。ある程度のアドリブは許されますが、欠かせない文言もたくさんあります。特に、固有名詞や史実の年月などは、間違えるわけにいきません。
今回の演奏会は、前半が歌、そして後半がフルート。伴奏としては、声楽よりも器楽の相手をする方がはるかに大変なので、血糖値も後半に進むにつれ、どんどん下がってきます。これが逆だったらどんなにか楽でしょう。でも、構成上、必要があってあえてこうなっているのですから、文句は言いません。
そして、終曲はフルートによる「カルメン幻想曲」。歌劇「カルメン」はほぼ暗譜していますが、それがかえってフルートとの共演を困難にします。構成が違うのはまだしも、調性が違うのはつらいです。開演からほぼ2時間演奏とトークをし、だいぶ判断力が鈍ったところで、リスクも高まります。ちょっと気を緩めたり、フルートの方に意識を持っていくと、反射的に体がいつもの調性にシフトしてしまうことに悩まされました。
リハーサルを終えたら、すぐに帰宅して稽古の続きを。そうだ、プログラムも印刷しなければ。衣装の手入れも終わっていないし。演奏稽古の合間に、アイロン片手にプリンタを操作し、iPadを見ながら台本を覚える一日でした。
さぁ、いよいよ当日。寒いながらも天気は回復しました。午前10時にシティ到着。慣れ親しんだ舞台スタッフさんたちとも今日が最後です。ステージはすでに整えられ、照明の準備が進められています。通し稽古は11時半過ぎから。それまではあえてのんびり過ごしました。通し稽古では、照明の雰囲気も見ながら、進行通りに合わせていきます。そこで問題が見つかっても、手直しをする時間はありません。記憶に留めて、あとは本番で対応するのみです。
最終回とあって、チケットは完売でした。開演の二時間前にはお客様が並び始め、階段の下まで列が伸びたので、時間を繰り上げて開場しました。舞台脇の小さな楽屋で身支度を整え、開演を待ちます。
私が初めてここのステージで演奏したのは、20年ほど前。歴代の名手たちが演奏してきた余韻が残っている感じがして、萎縮して弾いたのを覚えています。それが今やふてぶてしくも主のような顔をしていると思うと、なんだかおかしくて気が楽になりました。
演奏会は定刻に開演。オープニングでは、シューベルトのアヴェマリアを独奏しました。そして4人の女性演奏家をステージに招き、お客様にごあいさつ。後半に登場するフルートのおふたりに今の気持ちを尋ねました。
続いては、「フォレスタ」のメンバーとして大人気の中安千晶さんの独唱です。私たちメンバーにとってもアイドルのような存在ですが、客席にも多くの千晶ファンが詰めかけていました。千晶さんらしいピンクのドレスで、日本の四季メドレーなど、親しみやすい曲を披露。四季メドレーの序奏は、12年前の第1回目で、高橋織子さんが歌ったメドレーのために書いた序奏を引用し、密かに演奏会の道のりに思いを馳せていました。
伊藤真友美さんは、オペラアリアをメインに。「私のお父さん」「歌に生き、愛に生き」「ああ、そは彼の人か-花から花へ」と、人気作品を連発。曲ごとに表情を変える姿は、まさに女優です。加えて伊藤さんとのアンサンブルは、どんなにブランクがあってもいつも息ぴったり。ストレスフリーの共演者です。終曲はミュージカルの軽やかな曲を歌い、オペラの世界から一気に和んだ空気へといざない、休憩に。
第2部は「星条旗よ永遠なれ」の独奏からスタート。皆さまご存じの通り、私はマーチというキャラではないので、なんとなくこうバツが悪いというか・・・でも、途中のトリオ部分から藤原さんがピッコロで参戦してからは、にわかに楽しさマックス。もちろん、藤原さんはドレス姿でしたが、チアリーダーのコスプレでもよかったんじゃないかなと思いつつ盛り上がりました。
一転してヴィヴァルディのピッコロ協奏曲でバロックの気品を奏でた後、フルートに持ち替えてフランス女流作曲家のエレガントな作品を演奏した藤原さん。いつもステージをパッと明るくしてくれる存在です。
12年の歴史のトリを飾るのは、第2回目から最多出演(皆勤賞の私を除いて)を誇る玉村三幸さん。幅広い表現力を持つ玉村さんですが、深みと太さを持つ低音域がたまりません。演奏曲はファンタジーふたつ。「ハンガリー田園幻想曲」と「カルメン幻想曲」は、どちらも10分を超す大曲で、しかもフルート奏者なら必ずレパートリーにしている名曲です。
この日、お供をして、玉村さんの素晴らしさを改めて感じました。言葉では真意がうまく伝わらないかもしれませんが、自分のことに集中したいはずなのに、伴奏者の私のことや演奏会全体のことを本当によく考えている人だなと思いました。私が終盤きついコンディションで戦っていることも、よく理解してくれていました。
玉村さんにとっては、自分のことに専念して、華麗な演奏で会場を沸かせるという成功も射程内だったはずです。でも、このシリーズに限ってそれはベストでないということは、私がシリーズで学んだ最も大きなもののひとつです。あくまで番組。最初の一音から最後の余韻まで、途絶えることなく響いていく流れこそが軸であり、主たる精神性はそこに宿っています。
つまり、「玉村さんすごいね」ではなく、ふたつの幻想曲を対比させたり調和させたりしながら、しみじみと味わっていただくような演奏が求められていました。時に私を助けながら、勢いよりも情感を大切に、とても丁寧な演奏を聞かせてくれた玉村さんを心から称賛します。
最後には、みんなでアンコールにお応えし、充実した気持ちで演奏会を終えることができました。と同時に、まだまだ研鑽を積む必要があると痛感しました。プロデューサーがせっかく私を見込んで与えてくれた課題に、今の能力では完璧に応えることができません。難度の高い要求に見事に応える自分にただただ憧れますが、どうしたらそれが可能になるのか見当もつきません。だからこそチャレンジし続けます。
この続きは、またいずれどこかで!
次の写真は、フォトグラファーの日野真理子さんが終演後に撮ってくれました。特に母とのツーショットは本当にうれしいです。
この下は、リハーサル時の写真です。普段着の演奏者をご覧ください。でも、伊藤さんだけは、リハからドレスでした。(普段からドレスというわけではありません。)