韓国第九の旅-タクト音楽祭リハーサル

韓国民族芸術団クンドゥルと労音第九合唱団の交流によって実現した韓国・昌原での公演を終え帰国しました。クンドゥルによる手厚い歓迎とサポートにより、非常に濃密で充実したこの4日間を、演奏家の目線で振り返ってみたいと思います。

釜山の空港に到着したのは、本番前日の午後。芸術監督自ら空港に出迎えてくれ再会を喜び合いました。関西や九州から来る皆さんと合流して、会場のある昌原へ。少しでもエレクトーンのそばに居たかったので、一度ホテルにチェックインした後、すぐに会場へ向かいリハーサル前の個人練習に入りました。

他の皆さんは食事を済ませてから会場へ来ることになっています。それまでにエレクトーンの音響チェックなどを済ませました。合同リハーサルは合唱団の整列や出入りの練習からスタート。その段取りができたところで、第九演奏のリハーサルが始まりました。指揮者とは1年ぶりの再会。「お久しぶりですね、では全体を通して合わせましょう」と、打ち合わせもないまま通して演奏することに。1回目で問題がなければ本番も大丈夫です。もっと細かいところを詰めることもできましたが、そのままお開きとなりました。

公演当日の朝も、ひとり先に会場入りし、個人練習に励みました。第九はひとりで弾いている限りはスムーズな仕上がりでしたので、1週間後のタクト音楽祭に向けた稽古に時間を割きました。まだきちんと仕上がっていない曲を数日間も弾かずにいると、積み上げたものが崩れてしまいますので、せめて後退しないように体をなませます。しかし、消耗しすぎないように気をつけながら。午後からの第九リハーサルも、一度だけ通して終わりました。あとは本番を待つばかりです。

第1部はクンドゥルによるマダン劇。すでにステージコスチュームに着替えていた私は、その一部始終を舞台袖で鑑賞しました。舞台の全体は見えませんが、空気感や客席の反応はじゅうぶんに伝わってきます。親しみやすいストーリーを音楽や芸能を交えながらテンポよく進めていく様は、とても洗練されており、時間が経つのがあっという間でした。

マダン劇が終わり一度幕が閉じると、今の今まで劇で汗を流していた役者たちが、息つく間もなく舞台転換に取り掛かります。170名が並ぶ合唱用の壇を組むだけでも重労働です。その様子を見ながら、これほどの支えに応えるには、よい演奏をするしかないと気持ちが固まりました。

続いてはエレクトーンのソロ。舞台中央に置かれたエレクトーンの脇に立ち、司会のことばを聞きながら幕が開くのを待ちます。静かに幕が開き(これもクンドゥル団員による手動!)、正面からの照明が当たると、会場から割れんばかりの拍手が聞こえてきました。国内での演奏会よりも少々長めの礼をした後、とびきりの笑顔を客席に向けてエレクトーンに向かいます。

演奏は15分間。3曲を演奏しました。演奏中に時おり出現する無音の間(ま)。私はその間がとても好きです。さらには、この間の質で、その日のお客様のことがよくわかります。この日の間は完璧でした。まるで会場に誰ひとりいないかのような静寂。それを感じる度に、私の音楽はどんどん冴えていくのです。大ホールで演奏する醍醐味を満喫しながらの15分は、とても幸せでした。

袖に戻ると、すぐに第九。実際は数分の余裕があったはずですが、リセットするには短すぎました。そのままスタンバイ。その時、手足がしびれている感覚がありました。ソロの15分で必要以上に調子に乗って燃え過ぎたようです。第九の最後まで持つだろうか。いや、持たせなければ。

手足にしびれがあると、当然、コントロールの精度が落ちます。演奏時は、自分で神経を制御している部分と、反射神経を利用して勢いで弾いている部分があり、このような状態の時は特に後者が乱れます。自分で演奏のすべてを掌っている時はどうにかなるのですが、指揮者がいるなど演奏速度の制限を受ける場合は、心と体が噛み合わないまま音楽が進んで行ってしまうことになります。私は「指がバグる」と表現していますが、コンピュータの動作が乱れる時と状況はよく似ているように思います。

演奏中、何度もバグりそうになりながら、信じられないような高速も切り抜け、合唱の大迫力に自分の音を完全にかき消されて何を弾いているのかさっぱりわからない状態の中、まさに激流の中で岩にしがみつくような感じで集中力を保ち続けました。この舞台に立っている人間で、ここまで危機的で崖っぷちな存在なのは、エレクトーン奏者だけです。

弾き終えてみて、爽快感よりも悲しみが勝っていたのはなぜか、自分でもよくわかりませんが、おそらくシンフォニーを演奏したという実感が持てなかったからだろうと思います。第九は合唱曲ではありません。交響曲の一部としての合唱という意識をアマチュアの皆さんと共有するのは実に難しいことです。しかし、この概念なしに、第九の精神性は表現できません。

静岡での最終ステージが終わった瞬間から、私の全行動はこの演奏会のためにありました。集中力を保つために他の皆さんとの行動を諦めひとりで過ごし、何度も何度もイメージトレーニングを繰り返しながら、失敗の恐怖と闘っていました。なのに、終演後には燃えかすのように消耗した自分だけが残ります。終演後の交流会や、翌日の皆さんとの観光をとても楽しみにしていたのに、その体力がないのです。

第九の消耗は特別です。一度本番で弾くとリカバリーに3日は掛かり、その間は使いものになりません。たぶん、この先10年は弾けると思いますが、リカバリーに要する日数が増えていくことでしょう。第九後三日間絶対安静。健康な老後のために心掛けます。

すっかり老け込んで帰国した瞬間、次はタクト音楽祭の準備です。でも、家に着くなり文字通り這ってベッドに行き、服を着たまま横になってしまいました。15分で稽古を始めるつもりが、まったく動けず、気づいたら夜明けでした。

タクト音楽祭のリハーサルは一度限り。穴をあけるわけにはいきません。まだ編曲の済んでいない4曲をざっくりと仕上げ、エレクトーンシティへ。準備が万全でない状態でリハーサルに出向くのは、本当に気が重いです。

時間になると有名な芸人さんが続々とやってきて、ふだんのエレクトーンシティとはまったく違う雰囲気になりました。そしてオープニングから通し稽古。開会式風に演出された楽しいオープニングは、かなりの見応え。これから始まるステージへの期待が大いに高まることでしょう。続いてカバレフスキーの「道化師」を用いた音楽劇。コントやパントマイムに荒木おさむさんのナレーションが音楽と見事に絡み合ってこちらも必見です。

そして矢口美香さんのベリーダンスによる「サロメ」。私がソロで演奏している時にいつも頭で想像しているシーンがそのまま目の前にあるという現実に興奮。その事実が演奏をこれほどまでに触発するとは! 疲れが一気に吹き飛びました。妖艶なだけでなく、知的でもあり文学的でもあり、ここでしか味わえない世界観が表現されています。

福岡詩二さんのヴァイオリンとの共演は抱腹絶倒間違いなし。亜久亜SHINさんのあっと驚くインターナショナルマジックにも私が音楽で参戦。三遊亭絵馬さんの切り絵と「展覧会の絵」のコラボ。そして好田タクトさんの指揮者パフォーマンスでは、ベートーヴェン、ワーグナー、バッハなどを共演します。

芸人さんってどんな仕事ぶりなのだろう。まったく知らない世界でしたが、今日のリハーサルを通して、皆さん本当に真剣で、決して中途半端や適当なことはしないプロフェッショナルであることがよくわかりました。お笑いの世界だからと軽く括ってしまうことなどできませんし、皆さん実にきちんとしています。私も負けてはいられないと奮起させられました。

寄席小屋の見世物だなんて思わないでください。舞台をこよなく愛する人たちが贈る、体当たりの真剣勝負。笑いの向こうに秘められたメッセージもなかなか深いです。こういう芸術がもっと元気に活躍できる時代になってほしいと思います。ぜひ浅草東洋館にお越しください。