Tokyo Symphonia 2010

私が子どもの時からお世話になってきた先生が率いる教室の、最後の発表会が終わりました。
古くからの仲間たちや、その子どもたち、そして私自身の弟子たちも加わり、それぞれの思いの丈を音楽に託した一日は、あっという間に過ぎていきました。
準備や稽古を重ねた時間が膨大だっただけに、終わった後に残された出演者たちの心の穴は、しばらくふさがることがないのだろうと思います。

私を含めた神田将チームは午前8時半に集合。
楽器の設営や音響のセッティングを急ピッチで仕上げ、少しでも早い時間にリハーサルをスタートできるよう努めました。
その間、先生の門下生たちは楽屋の準備を整え、長丁場のステージに備えていきます。

午前中はアンサンブルを中心とした個別のリハーサルを行いました。
日頃、ステージに慣れ親しんでいるのはプロである私だけで、他の皆さんはステージに立つだけで日常にはない緊張に包まれることでしょう。

それをなんとか乗り越えようと、少しでも楽器に触れていたいという気持ちが募るばかりの様子。でも、皆さん、ギリギリまでしっかり稽古を重ねてきているので、日頃の成果を発揮できさえすれば、あせる必要などありません。

これも頭ではわかっていても、どうしても楽器に向かいたい気持ちが勝ってしまうんでしょうね。でも、実際、土壇場になって中途半端に楽器に向かうと逆効果になることもしばしばです。

それよりは、必要最低限の確認事項だけに徹し、それ以上むやみに楽器にすがりつかない、きっぱりとした姿勢で本番を迎える方が、よい演奏ができるような気がします。

私は、その日に演奏する曲は、かならずリハーサルで1度は弾いておきます。ところが、2度弾くことは滅多にありません。1度弾いて、問題点が山積みだったとしても、どこがまずかったのだけを記憶し、本番はそこに注意することを忘れないようにするだけです。

リハーサル時間に練習不足を補うことは不可能です。それよりも、自分の演奏がどう響いているのか、心地よい音量はどの程度なのか、照明の具合はどうか、演奏の妨げになる要素はないのか、といった周囲の環境に対して最大限の注意を向けるべきです。

緊張に打ち勝つには、自分自身の精神葛藤に勝たなければなりません。適度な緊張は、よい演奏をしようという心の現れでもあります。しかし、度を越せば、演奏を台無しにしてしまいます。

不安があるなら、その場しのぎの練習よりも、心を解き放つよう深呼吸をしたり、軽いストレッチをする方が効果的です。

今回の発表会でも、皆の緊張を解くために、私はさまざまな工夫をしました。さほど興味のないような顔をしながらも、終始出演者のコンディションに気持ちを向けていました。そして、心の底から、どうかよい演奏をして自信を深めて欲しいと祈る思いでした。

結果的には、思い通りの演奏ができて満足だったという人はひとりもいなかったと思います。大なり小なり演奏に傷を残し、日頃の成果が発揮できなかったと落胆している人もいるでしょう。こうした反省や悔しさも次の糧になりますので、おおいに結構です。

その一方、皆さんにはプロの仕事を間近で体験して、より充実した音楽生活にいかして欲しいと願っていました。本番への気持ちの持っていき方や、演奏中の絶妙なコントロールなど、口で説明したのでは理解しにくいことでも、私の様子を見ているだけで感じとれることがたくさんあるはずですから。でも、実際は、皆さんそれどころではなかったようですね。

私のソロステージのコーナーは当初35分の予定でしたが、先生にお願いして少し長めに時間を取ってもらいました。
リサイタルを50日後に控え、コンサートピースの連続演奏に慣れておきたいというのが一番大きな理由です。

5曲で55分。トークも含めての時間ですが、このボリュームはちょうどリサイタルの約半分くらいになります。高いレベルの集中力や体力が要求される曲ばかりを立て続けに演奏するのは、ショートピースを十数曲演奏するよりも、ずっと大変です。

今回はこうした勝負曲の数々を、ご来場のお客様には辛抱して聞いていただきました。生徒たちの演奏も続々とある中で、本当に長時間恐縮だと思いながらの演奏でしたが、おかげさまで大きな手応えが感じられ、リサイタルに向けて自信が深まりました。

最後には先生に感謝の花束と、それぞれにメッセージを綴ったブックレットを進呈しました。こうしたセレモニーを好まない先生ですが、私たちの気持ちは受け止めてくれたことと思います。

ご来場のみなさま、先生、そして先生のご家族皆さんに支えられ、今回もまた、生涯忘れることのできないステージとなりました。ありがとうございました。