lost in the darkness

今、私は深い静寂の中にいます。ぼんやりと灯る明かりと、時折仄かに漂う沈香のかおりの中で、とてつもない恐怖に怯えています。リサイタル準備を進めていくと必ず陥るこの恐怖、今回は一番強烈なのですが、年が明けたくらいから急に激しくなりました。

編曲が進み、弾くべき楽譜が形になるにつれ、こんなもの本当に弾けるのか?と心配になってきます。実際、どう見ても演奏不可能なのです。指が10本ずつあって、開けば2オクターブ届くのでない限り。それをあの手この手で駒を動かし、チェックメイトを決めるまで頭フル回転で挑みます。

振り返ってみると、初めて第九を弾いた時もそんな感じでした。どう考えてもひとりではムリ。でも、10年工夫を重ねたら、それなりにかたちになってきました。最初にムリと諦めていたら、今の私の第九は存在しなかったのです。

その第九も、初めての演奏時は散々なものだったと記憶しています。みっともないほど酷い演奏だったことでしょう。でも、不思議なことに初演で感じた稲妻に打たれたような達成感は、その時がピーク。思えば、あの時が私の第九のビッグバン。すべての始まりだったわけです。

そして今、3月のリサイタル向け、ラフマニノフ作曲の交響的舞曲の全楽章を準備しています。ラヴェルのオーケストレーションが美しい方程式なら、ラフマニノフのは絡まってしまった恋愛感情のように面倒。でも、愛と哀しみだけを素に無上の歓びを紡ぎ出すこの音楽を、どうしても一人の手で演奏してみたいのです。

なにも無理してひとりで弾かなくてもオーケストラの演奏を聞けばいいと思われるかもしれません。自分でも馬鹿げていると思いますが、こうしたムチャから発見することは、あんがい大きいものです。

きっとこの作品もかたちになるには10年以上を要するでしょう。生きているうちにモノにするつもりなら、今始めるしかありません。この恐怖に打ちのめされるのか、それとも歓びに変えられるのか。勝負はこれからです。