夏の大阪

真夏の太陽を思わせるスペインの情熱で幕を開け、しみじみとメロディに酔い、リズムの躍動に身を任せた125分。さまざまな国の情緒を味わうとともに、死にゆくものの安らぎや、愛ゆえの深い闇を垣間見るなど、変化に富んだ内容にして、それぞれを深く掘り下げられたのは、やはり今井俊輔さん、中井智彦さんを迎えてこそでした。

当たり前と言えば当たり前なのですが、さすがプロだなと唸らされることしばしば。実に高度なことをあっさりとさりげなく魅せてくれるのです。そしてふたりの担当マネジャーがたいへん気の利く人で、リハーサル時などあれこれ追いつかない部分にさっと手を差し伸べてくれ、おおいに助けられました。まさにチームワークあってこそ。

公演の内容は、歌とエレクトーン演奏を含めて22曲オンパレード。レパートリーの広い歌手がふたり揃えば、選曲の幅も広大です。それらをお味見感覚で雰囲気を作るのではなく、オペラはオペラとして、ミュージカルはミュージカルとして、その他レパートリーも聞けば聞くほど味が出る領域の演奏をするために、長い時間を掛けて熟成させました。

これも何度も言っていますが、公演全体をコントロールする立場と奏者を兼ねている場合、準備したものがすべて出し切れることはまずありません。仕切りながら、ついでに弾いているというのが実態で、集中して演奏するなど、夢のまた夢の話です。

今回のように効果の高い照明演出を加えると、その仕込み時間も長くなります。リハーサル時間を確保するために、照明スタッフは必死になって準備をしてくれますが、それでもじゅうぶんな時間は残りません。

トラブルや変更事項も続出し、出演者にもスタッフにもストレスが重なっていく中で、よりよいステージのために力を出して支え合う場面にもまた、コンサートの一部として公開したいほどのドラマがありますが、こうしたある種の修羅場で平然といられるかも、プロらしさのひとつです。

男性陣は豊富な経験により、この環境でベストを導き出す術を知っていました。ところが、菊池玲那にとっては極めてタフな現場になったことでしょう。垂直降下する機体で弾くようなものですから。私ですらこのGはきついと感じている中、ふと玲那を見ると顔面蒼白なわけです。かと言って助けてやれることはひとつもありません。それが本番というものなのです。

玲那にとっては、時間の流れがどうにかなってしまったような感覚だったはずです。私もかつて経験していますから、よくわかります。その中で耐え抜き、多少機体に傷を残したにせよ、きちんと着艦させたのも事実。この経験はいずれ無敵の自信に繋がり、生涯の糧になるに違いありません。

そう言いながらも、私たちはステージを大いに満喫しました。お客様が私たちに何を望むのかを客席から強く発信してくれ、それがまたとない水先案内となり、心地よい方向へと導いてくださったのです。最終仕上げはお客様の手で。11回目の茨木公演は大成功でした。

終演後、この足で帰京する歌手一行の車を楽屋口で見送り、私は両親と大阪城脇のホテルで家族団欒のひとときを。母は口よりも更に足が悪く、一度座り込んだら動きません。今夜はブッフェだというのに。

演奏会で全力を出し切った後でも、ホテルスタッフに負けないくらいキビキビと動き、母にせっせと配膳する私。着替えるのも面倒で、ステージコスチュームのままレストランへ行ったからか、別のテーブルのお客様に「すみませ〜ん」と呼び止められる場面も。いくらなんでも従業員がこの長髪ってのはないと思いますけど。

翌る日は小雨でしたが、水上バスで束の間の観光も楽しむことができました。川面からビルを指差し微笑むふたりを見ながら、幸せを実感した大阪の旅でした。