最近、大きな買いものをしました。大きいがゆえに、本当に必要かどうかを熟慮したうえで。思い切って手にしたそれは、私の壮大な夢の一部を満たすと同時に、果てなき旅への欲望をかきたててやみません。
大きな買いものといえば、城、船、ジェット機などを思い浮かべますが、私が欲したのは一冊の本です。大きいのは金額ではなくサイズ。そうは言っても書店で入手できる本ですから、驚くほどではないかもしれませんが、何でも手のひらに収まってしまう現代の感覚にてらすと、なかなかの図体です。
それは探査機が撮影した火星の地表の写真ばかりを集めたもの。今のところ、人の手が及んでいない未知の風景は、どれもまさに息を呑む美しさです。
子どものころ、おとなになれば、宇宙飛行士にならずとも、他の星に旅ができる時代になっている信じていましたが、どうやら私の命が続くうちには実現しそうもありません。
太陽よりも見かけが大きな天体が地平線から上がる様子、異なる成分を持った海水がどんな色をしているのか、果ては、大気のない環境で育った生き物が音楽をどう解釈するのかなど、見たいこと、知りたいことが空の向こうにはたくさんあるというのに。
でも、この本を一頁めくる度に、夢にまで見た風景が頭の中で大きく展開し、あたかもその場に立っているかのような気分になり、生きているうちに決して満たされることのない好奇心をなだめることにも成功しました。
一頁をめくる行為が、これほどワクワクするとは。どこかで知っている感覚だと思って記憶をたどったら、子どものころ、新しい曲の楽譜の頁を開く時のワクワク感と同じだと気付きました。
当時、私は今開いているページが完ぺきに弾けない限り、次のページを開かないというルールを決めて練習していました。次の作品がどんな音楽なのかを一秒でも早く知りたくて仕方がないので、今見ているところを必死で弾きました。
そして晴れて次の作品に触れた時には、ユニークなリズムやこの世のものとは思えない美しい旋律に出会い、まさに世界が広がったという実感に震えたものです。
現在は、日々膨大な作品と触れ合う生活です。やもすれば期日に追われて、人智の化身である楽譜を単なる記号と読み解くような時も。それはいけません。命を持たない火星の風景が、音楽に刻まれた命を軽んじないようにと教えてくれました。星空への好奇心は、音楽の宇宙の中で解き放ってやろうと思います。